脱R論

一般人の一般人による一般人のためのゆるくテキトーな音楽ブログ。ロックから脱却出来るその日まで音楽ネタを中心に書き綴ります。

【Song】宇多田ヒカル / 真夏の通り雨 [2016]


真夏のヒッキー宣言。

宇多田ヒカルを「ヒッキー」と呼ぶ人もいるけど、
なんかこう引きこもりみたいで俺は嫌なんだよな。
ヒッキーってやっぱり暗いイメージになるじゃないですか。

引きこもりってそんな悪いもんじゃないけどなー。
俺も半分引きこもりだから悪いイメージを持たないで欲しいのよ。
夏は熱いし冬は寒いんだ。そりゃ引きこもりたくもなるだろう?

まぁでも引きこもりを「ヒッキー」なんて可愛らしい感じで、
愛着を持って呼んでくれるのは有難い。
宇多田のお陰で逆に引きこもりすら神々しい存在に思えるぜ。


そんなわけで暫く本当にヒッキーしてたヒッキー
今年活動再開をしまして9月に新アルバムを発表するそうです。
最近では朝ドラの主題歌やニュースのテーマなんかもやっちゃってます。

先日発表された上記2曲からニュースのテーマの方『真夏の通り雨』だ。
朝ドラの主題歌の方『花束を君に』と比較すると暗めである。
だが新しいヒッキーの魅力を感じられる一曲ではないかと思った。

母を亡くして色々な想いを感じたであろうヒッキーは、
抱きしめられると君とパラダイスにいるみたいなヒッキーとはまた違う。
アーティストも人間であり、その時その時の表現が生まれるのだ。
この曲は特に歌詞が味わい深い。ヒッキーは本当に良い仕事をするね。

夢の途中で目を覚まし瞼閉じても戻れない
さっきまで鮮明だった世界 もう幻

のっけからいきなりグッとくる歌い出しである。
現実とは予期せぬ時に急に襲ってくるもの、と言った感じかな。
夢の世界を”鮮明な世界”としている辺りが憎いよヒッキー。

汗ばんだ私をそっと抱き寄せて
たくさんの初めてを深く刻んだ

これはアダルトな妄想をすると男女の関係にも捉えられるが、
とにかく大切な人との思い出を回想しているのだろう。

揺れる若葉に手を伸ばし あなたに思い馳せる時
いつになったら悲しくなくなる 教えてほしい 

そしてその大切な人は亡くなったと思われる。
ストレートだが光っている歌詞がココの部分だ。
現実がいきなり降りかかってきて、気持ちの整理がつかない様子。
だからこの後も「教えて正しいサヨナラの仕方を」と歌うのだ。

自由になる自由がある 立ち尽くす 見送りびとの影

この部分がまたとてもイイ。
自分の中の大きな存在がなくなり、自由になった人々は立ち尽している。
遺された人は自由になり、そして立ち尽くしているという対比がスゴイ。
「見送りびとの影」という単語にとてつもない哀愁を感じる。

身近な人を亡くした人間なら誰しも心にくるフレーズではないか。
そしてそれはきっといつか誰にでも必ず訪れる感情である。

ずっと止まない止まない雨に ずっと癒えない癒えない渇き

そしてラストである。この部分こそがクライマックスである。
なんかどの部分も同じように褒めている気がするが気にするな。
俺の表現力じゃヒッキーの表現力になど到底敵わないという事だ。

「雨は止まない」のに「渇きが癒えない」のだ。ずっと。
「止まない雨は無い!」といった凡庸な言葉で悲しみを拭おうとしない。
この強烈なラストで曲は静かに終わる。


ヒッキーの母、藤圭子は2013年8月に亡くなった。
『真夏の通り雨』で突然亡くなった大切な人。
「通り雨」なのにまだ雨は止んでいない。渇きも癒えない。
自分はまだそんな「通り雨」の中にいるという事を歌ったのだろうか。


復活したヒッキーの強烈な一曲。
次なるアルバムへの期待値も上昇せずにはいられない。
真夏の外は暑いので俺もヒッキーしてアルバムを待とう。

【採点】
・ヒッキーが復活    30点
・ヒッキーから復活   30点
・ヒッキーはいいものだ 20点
・真夏はヒッキーの俺  -1点
79点