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脱R論

一般人の一般人による一般人のためのゆるくテキトーな音楽ブログ。ロックから脱却出来るその日まで音楽ネタを中心に書き綴ります。

脱R論 - 一般人の一般人による一般人のための音楽ブログ。

5年前のあの日、突然祖母はいなくなった。


時には昔の話を
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自分語りになるが今日は俺の祖母の命日だ。

俺は家庭の事情で両親の元を離れ祖父母に育てられたので、
祖父母に対する思い入れは人よりも強いんじゃないかと思う。

そんな祖母が亡くなってから早いもので今日で5年もの年月が経過した。
というわけで今日はちょっと思い出にふけってみたい。


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俺は祖父母の家で育ったわけだが今こうして元気に暮らせているし、
別に両親とも仲は悪くないのでなんの問題もない。
子供は誰に育てられようが育つ時は育つんだ。
家族主義が叫ばれる時代だが、家族の定義なんてそんな感じでいいと思う。

とは言え祖父母はとても保守的な人間だった。昔の世代は大概そうだろう。
祖母も色々考えてはいたのだろうけど、やはり世代のギャップは厳しい。
学校は楽しかったけど俺と周りの友達じゃ価値観が違う事も多く、
なんというかそこはもう仕方がなかった。

でもきっと周りの環境も良かったのだろう。
それで取り立てて問題になった事は無かった。
雰囲気的にも個人の時代が始まっていた事もあって息苦しくはなかった。


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しかし、それでもやっぱり俺がまだ小さい頃に
学校や友達の家で吸収してくる感覚と祖母の感覚は違った。
俺が学校に通い始めた頃にはゆとり教育が始まり勉強以外の活動も増え、
授業にもそれまでにない新しいものが取り入れられ始めた時期だった。

だからそんな時代の空気に晒されていた俺と祖母の考えは異なっていた。
漫画や音楽、テレビやゲームはかなり制限されていた。
さらに友達は頭がいい人を選べだの、勉強さえしていればいいだの、
今考えると改めてさすがに価値観古すぎるだろと思う事ばかりだった。

正直当時の俺はそんな祖母の思想が嫌いだった。だから良く対立もした。
でも結局勉強はした。ある程度の成績さえあれば遊ばせて貰えたから。
そりゃ勉強だって実際には出来ないより出来た方がいい。今はそう思える。

ただ勉強出来なくたって選択肢が広がっている時代である事も間違いない。
俺が勉強させられていなかったら今はどうなっているかは分らないけど、
まぁ多分普通に生きているだろうし、今より充実しているかもしれない。
でも今の人生でもそれなりに生きている。結局はパラレルワールドな話だ。


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そんな俺がこんな趣味全開のブログを書くまでに
極端な人間になってしまったのは大学の時だ。

保守的な祖父母の元で育った俺は
小中高とそれなりに勉強しそれなりに良い大学に受かった。
祖父母も喜んでくれた。周りにも自慢していた。俺も悪い気はしなかった。

そしてずっと育ってきた地元を離れた。 大学では本当に色々あった。
バイトして漫画もCDも沢山買った。ライブも行った。アニメも観た。
俺がここに書いている知識の多くはこの時期に醸成されたものだ。

そんな風に自由に楽しめるのが親元を離れるって事だろう。
多分みんなそうだよね。抑圧されていたものが一気に噴出する感じ。
きっと祖母がそばにいたならば「何をしてるんだ」と思っていただろうな。


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そんな祖母が亡くなったのが5年前だ。
忘れもしない。
それは突然だった。


俺は大学卒業後、就職して祖父母の家に帰っていた。
地元ではそれなりに名前が知れた企業だったし、
俺が帰って来る事で祖父母はまた喜んでくれた。

だが俺が帰ってまもなくして祖父は認知症が進んで
施設にお世話になる事となった。俺が大学生の頃から予兆はあったようだ。

それから俺は暫く祖母と二人暮らしをしていたわけだけど、
その日々はなんだかんだで結構楽しかった。

俺も一人暮らしも経験して
ある程度自分で身の周りの事が出来るようになっていた事、
そして祖母は逆に体が弱っていって出掛けるのも大変になってきた事。
大学の4年間でそれまでの関係が徐々に変化していた事を感じ取っていた。

休日に一緒に俺の運転で車で20分程度のラーメン屋に出かけたりすると、
祖母は「こんなに美味しいラーメン屋があったのか」と驚いたりしていた。
俺は会社の人や友人と色々食べに行ってるので当たり前に知っているが、
祖父母は共に出不精だったので世間にどんなものがあるのか知らなかった。

だから俺からしてみれば普通の事も祖母にとっては新鮮だったのだ。
知らないものをこれから知るって楽しいんだろうなと思った。
運転できない祖母は俺の車で一緒にお店に行くだけで楽しそうだった。


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そして俺は今の嫁と出会い結婚する事になった。
結婚式はちょうど5年前の11月の頭。祖母が亡くなる直前の事だった。

結婚式の披露宴で、俺は祖母と手を繋いで退場する場面を作っていた。
祖母の席に近づき手を差し伸べたとき祖母は最初は恥ずかしがっていたけど、
俺は半ば強引に祖母の手を引き、一緒に会場の出口の扉まで歩いた。

大きな大きな拍手が俺と祖母を包み込んでいた。
祖母は恥ずかしがりながらも笑ってくれていた。
思い返せばそれが祖母と最後に触れ合ったときだったかも。


俺と嫁は結婚して俺の実家から車で15分くらいの借家で暮らしていた。
祖母は一人暮らしになったが定期的に電話はしていたし、
そんなに離れてもいなかったので特に心配もしていなかった。

五年前の11月22日、
俺の仕事中に祖母から電話があった。
「何だか分らないけど急に具合が悪くなった」と。

急きょ俺は早退して祖母を病院に連れて行った。
診察では寒くなってきたので少し体調を崩したのだろうという話だった。
その日の夜は嫁も祖母の家に来てくれた。
その頃には祖母もすっかり大丈夫そうだったので二人で帰宅した。

11月23日、
祝日だったが前日の仕事が半端だった事もあり俺は休日出勤していた。
仕事が終わった後、夕方に祖母に電話をかけてみたら出なかった。
そのときは買い物に行っているのだろうと思って特に気にしていなかった。

11月24日、
会社に行く前に電話してみた。出なかった。
朝早いから疲れて寝ているのかもしれないと思ったが少し気になった。
でもあまり深く考えずに仕事をして会社の終礼後に再度電話した。

また出なかった。
さすがにおかしいと思った。電話に出ないなら行くしかない。
俺は帰宅ラッシュの中を苛立ちながら車を走らせていた。

このときの気持ちは良く覚えていない。
不安か焦りか良く分からない気持ちだったと思う。 

家に着いた。家が暗い。この時間に電気が付いていないなんておかしい。
俺は悪い予感がした。玄関は空いていた。奥からラジオの音が聞こえる。
「ばあちゃん!」と暗闇に声をかけてみるけど返事は無かった。

俺は色んな部屋の電気をつけていった。
どの部屋にも祖母の姿は無かった。そして俺は風呂の電気をつけた。
そこには湯船につかったまま息をひきとっていた祖母の姿があった。


俺は近寄って叫んだ。何度も何度も「ばあちゃん!」と叫んだ。
だが体は膨らみ顔色が紫に変色していたその姿に俺は絶望するしか無かった。


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それからその晩は大騒ぎだった。
祖母の兄弟、俺の友人、嫁のお父さんまで祖母の家に駆け付けていた。

そして俺は自分でも驚くほど冷静だった。
警察に色々聞かれても淡々と答えたし、葬儀屋さんと以降の段取りもした。
祖母の子供(俺の親兄弟)にも連絡して葬儀のスケジュールも調整した。
祖母が亡くなったのは前日、11月23日だろうという事だった。

諸々の手続きが終わった頃には深夜だった。
駆け付けてくれた皆が祖母の家から引き上げた後、
俺は嫁は家に残り二人で祖母の棺桶のそばで寝る事にした。

そして横になったときにようやく実感がわいてきた。
泣いた。涙が止まらなかった。一睡もする事が出来なかった。
どんな日も必ず寝て、飲み会でもカラオケでも徹夜なんてできなかった俺が。


無事に葬儀を終えた。葬儀では多くの人が色んな言葉をかけてくれた。
俺が結婚して祖母のそばを離れたのも祖母が亡くなった遠因の一つだ。
そんな事はないと言ってくれる人もいたけど、それは間違いなく事実だ。
そう考えて亡くなった当時は一時的に俺も自分を責めていた時はあった。
でもまぁ今はさすがにそこまでは思っていないけど。 


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しかしそれからの俺は暫く酷い生活を送っていたと思う。
酷いというのは本当に自堕落でダメな人間だったという事だ。

悲しみを忘れるためにお金をじゃんじゃん使った。新婚旅行も豪遊した。
外食も頻繁に行って毎日のように酒を飲んでそのままリビングで寝ていた。
世の中は楽しい事だらけなんだと言い聞かせたかったのだろうと思う。
多分そんな生活を一年くらいしていたんじゃないかな。


そして祖母の一周忌のときに改めて自分の弱さを感じた。
早かったのだ。あまりに早く一年が過ぎて焦ったんだ。

周りの大人は一年が経過し、
皆祖母の死をしっかりと受け止め生きているように見えた。
自分の身近な人を亡くしたのに皆こうも強いものなのかと思った。

そして自分は惨めだった。俺はいつまでこんな風に生きているんだ。

きっと俺は祖母の死を遠ざけようとしていたんだと思う。
乗り越えなければならないのを勘違いして避けていたのだ。
みんなどうやって乗り越えたのだろう。自分の未熟さが只々憎かった。

あの一周忌の後、俺は仏壇に向かってまた泣いた。
そして「すみませんでした」と泣きながら謝った。
祖母が亡くなってからの俺の不甲斐無さを謝った。
無力な自分を謝った。自分が何一つ変われていない事を謝った。


そして祖母の一周忌から4年。
その間に祖父も亡くなった。
まだまだそんなに変われていないし大した人間でもないけど、
気持ちも徐々に晴れたしなんとなくだが前進している気がする。 

どんな思い出も、やっぱり向き合う事でしか自分に染み込んでいかない。
祖母は最後の最期でそれを教えてくれたんだと思う。
理解するのに大分時間はかかったけどね。


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5年前、祖母が亡くなった。

祖母は俺が結婚したから安心したのだろうか?
そんな事で燃え尽きたのだろうか?本当にあれが幕引きで良かったのか?

俺はまだまだ祖母が自慢できるような孫なんかになれていないのに。
本当に勝手だよなぁ。大学行って会社勤めて結婚したら安心だなんて。
本当に保守的な祖母の考えそうな事だよ。俺はまだまだこんなんだぜ。

保守的だったし衝突も多かった。
でも今俺はちゃんと生きている。それだけは事実なんだ。
でも明日俺も死ぬかもしれない。誰だってそうだ。

祖母は自分が生きた証をこの世界に遺したつもりかもしれないが、
俺はまだまだ遺すだけの人生すら歩んでない。今の俺に何が出来る?


だから、今日ここに祖母の事を書こうと思った。

俺も勝手な人間だ。祖母が生きた証を残したかった。
このネットの片隅に。祖母がこの世を去ってから5年という節目に。

多分祖母はネットなんか嫌いなんだろうな。
でも俺が書きたかったんだからしょうがないよな。

きっとこんな事を祖母が見たらまた「何をしてるんだ」と思う筈だ。
でもこれでいいんだ。あれからもう5年も経つし時代も変わった。
俺だってもう娘がいるんだ。ばあちゃんのひ孫だ。超可愛いよ。

ばあちゃんには悪いけど好き勝手やらせてもらうぜ。
だから俺がいつかあの世に行ったときにはまた喧嘩してくれ。

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