脱R論

一般人の一般人による一般人のためのゆるくテキトーな音楽ブログ。ロックから脱却出来るその日まで音楽ネタを中心に書き綴ります。

脱R論 - 一般人の一般人による一般人のための音楽ブログ。

50年前のビートルズ来日を想像する。


古きをたずねて新しきを知る。


現代を生きる我々にとって未来をあれこれ想像する事は楽しい。

「未来は暗い!未来は悲しい!希望なんてありゃしない!」
とか本気で言ってる人はとりあえず毎日瞑想と睡眠と野菜350g取りな。
なんか健康とかにいいらしいから。

ところで最近「野菜350g分使用」と謳った野菜ジュース売ってるけど、
容量200mlで野菜350g分というのはどういう仕組みになってんだ。
俺が知らない間に新理論でも出来たのか。

伊藤園 1日分の野菜200ml紙パック×24本入×(2ケース)
伊藤園 1日分の野菜200ml紙パック×24本入×(2ケース)


しかし、想像するのは決して未来だけではない。
過去を想像する事にも楽しいものがある。
勿論時代は前へと進んでいるのだけれど、歴史物見ると楽しいじゃん?

過去にどんな出来事があってそれが一体何を世の中に齎したのか。

当時の人々の考え、価値観、そういったものをロールプレイングして、
自分の頭の中でシミュレーションしてみる。それこそが歴史の醍醐味。
『温故知新』。いい言葉だよね。好きな言葉は何かと質問されたら、
多分俺は真っ先にこの言葉を選ぶ。次点で『タイムセール半額』かな。


今年はあのビートルズ来日50年という事で、
音楽シーンが色々と盛り上がった年でもあった。
各地でイベントがあったりテレビで特集が組まれたりしていた。

今や教科書にも載るレベルの出来事として語られるビートルズ来日。
「たかだか海外のバンドが来日しただけなのに何がそんなに凄いのか」
ロックに染まっていない健康優良児の皆々様はシンプルにそう思うだろう。

そしてその思考は正しい。とても素直な感覚だと思う。
普通に考えて単なるバンドが来日したくらいじゃ事件にはならない。


でもやっぱり今の価値観じゃ昔の話って分からない事が多いよね。
ビートルズ来日がここまで取り上げられるのには理由がある筈だ。
今回は想像力を働かせながら50年前のビートルズ来日の話をしたい。

早いもので2016年もあと一か月だ。
ビートルズ来日50周年だった今年の締め括りに、
俺の親もまだガキンチョだったあの時の空気を考察してみよう。

武道館でロックバンドなど言語道断。


「武道館でライブをする」
昔からアーティストがこぞって目指しているのがこの武道館だ。
ライブ市場が活発な最近では武道館も大分身近にはなってきたが、
なんのかんの言っても武道館はアーティストにとっての聖地だ。

この武道館、本来は読んで字の如く日本の伝統的な武道を奨励する施設。
だがそんな施設が今やアーティストの目標の地となっているのは、
他でもないビートルズのお陰だったというのは有名な話である。

1966年6月末、梅雨の時期の日本でビートルズが公演を行うには
屋内でかつ一万人規模の収容施設が必要だったわけだが、
ドームも無い当時の日本では武道館くらいしか候補が無かった。

だからビートルズは武道館で公演という話になったわけだが、
そしたら当時の政治家や評論家や武道館館長、右翼団体等が揃って
「そんなわけのわからない連中に日本文化のくぁwせdrftgyふじこlp
みたいな感じで猛反対。そしてそれに若いビートルズファンが猛抗議。

結局は色んなすったもんだがあったけど最終的に使用が許可され、
晴れて武道館はビートルズのコンサート会場という新たな歴史を刻んだ。

当時のポール・マッカートニーは「日本の舞踏団がイギリスに来ても、
イギリスは伝統を冒涜されたなんて言わない。僕らは演奏をしにきただけ。
僕らだってある意味じゃ伝統的だよ」と意識高いコメントを残している。

いつの時代もこういった衝突は起こるものだといういい事例だね。
伝統を守ろうとする姿勢はいいけど本当の「守る」とはどういう意味か。
何事も時代の風を受け入れながら色々な歴史を重ねていく事が、
結果的に「守る」事に繋がるんだと俺は思う。うん、意識高いコメントだ。

ビートルズのコンサートには行くな。


そんなこんなでビートルズの武道館公演となったわけだが、
それでも当時はビートルズとやらが何者か分からない連中が多かった。

今でこそ教科書に掲載されておりこうさんイメージが強いビートルズだが、
当時は日本全体がビートルズ歓迎といったムードだったわけではなく
熱狂していたのは若者ばかりで大半の大人は冷ややかだった。

大人達の殆どは正直「びぃとるずってぇのはなにもんだ?」
「まーたへんなもんが流行るんかいなアホらし」みたいな態度。
これも繰り返される歴史だ。自分が理解出来ない物をすぐ突き放す人々。

しかしまぁそんな理解できないものがやってくるのはそりゃ怖いだろう。
ロックバンドの武道館コンサートなんてどう仕切っていいか分からない。
当時の日本人には何が起こるのか見当もつかないんだからしょうがない。

ビートルズ来日に備えて有識者達は度々会議を開き議論を重ねた。

若者の行動が予想出来ないとして心理学者までもが駆り出された。
警視庁では対策委員会が発足、会場には2メートル間隔で警官を配置した。
学校では「ビートルズのコンサートに行かないように」と通達もあった。

今考えるとそれこそアホらしい話かもしれないが、
当時としては前代未聞の未知の出来事がこれから始まるというわけだ。
「前例の無い事は困る」大人達が必死に若者を抑えようと奔走する。
形は違えどこれもいつの時代も繰り返されてきた話だ。面白いじゃないか。

ビートルズは人々を狂わせる。


そして色んな意味で日本中を巻き込んだビートルズ公演が始まる。
ビートルズ国賓並みの扱いで迎え入れられ厳戒態勢が敷かれた。

いざ公演が始まると1万人のファンの悲鳴が武道館を揺らす。

その歓声はあまりに大きく楽器の音が聴こえない程だったとか。
「それじゃ意味ないじゃん」などと無粋な事を言ってはいけない。
当時は目の前であのビートルズが演奏している、その場に一緒にいる、
その体験だけで夢のような心地だったんだ。


公演時間はたったの30分。現代で考えると明らかに短いし物足りない。
しかしその30分で泣き出す者、失神する者、失禁する者までいたそうだ。
そう考えると凄すぎる。30分でこれだ。2時間やったら多分全員死んでた。

この熱狂っぷりは一体なんだったのか。
当時は60年代。ただでさえ娯楽が限られていた時代だ。
今みたいに情報にすぐアクセスできやしないし、地域社会が世界の全てだ。

そんな時代にレコード盤を見て、音楽を聴いて、雑誌を読んで、
少ない情報の中でビートルズってどんな人達なんだろうと想像を膨らませ、
最高にドキドキワクワクしながらコンサートで彼らを観たときの気持ち。

めちゃくちゃ感動するだろうなー。
俺だったら多分泣きながら失神して失禁して死んでたかもしれない。


ちなみにあの作家の三島由紀夫ビートルズ公演に行ったそうだ。
しかし三島は舞台ではなく熱狂する観客席を観ていたらしい。
そして「客席を観ている方がよっぽど面白かった」などと
意識高いコメントを遺している。さすが意識高い最期だった方だ。

後年、川端康成のコメントだったっけ、
「三島もロックを聴いておけば自殺しなかったのに」
と語ったエピソードがあったように記憶している。
まぁ川端の死因も謎めいているので、もし彼の発言だとすればお互い様だ。

自分の感情が処理できない。


色んな意味で凄かったビートルズ来日。
凄かったからこそこの出来事が今日まで繋がっているわけだ。
そんなビートルズの公演では一体何が起こっていたのか。

当時ビートルズの公演を観に行った人のインタビューの中で
皆、自分の気持ちをその場でどう表現していいか分からなかった
という話がある。これはとても興味深い話だと思う。


今でこそライブに行けば皆それぞれが自然と楽しむ。
ウェーイと手を挙げる人もいれば後ろでラーメン屋の店長のように
腕組んで達観を決め込んでいる俺もいる。

そう、俺らはライブ中の感情表現をなんとなく知っている。
そういう時代に生まれて、そういう環境で育ってきたから。
これは音楽文化が何十年も醸成されていく中で自然と広がってきた物だ。

しかし、そんな感覚を持ち合わせていない60年代当時の若者が、
ビートルズを前にして自分の中で込みあがってきた感情を、
今まで味わった事の無い気持ちを、果たしてうまく表現できたのだろうか。

多分本当に分からなかったんじゃないかな。
それまで感じた事のない気持ち。全く新しい感情に出会った瞬間。
日本で初めてそういった音楽体験をしたのが、
おそらくこのビートルズ公演に行った人達なのではなかろうか。

この気持ち良く分かんない。どう処理していいか見当もつかない。
だから失神するし失禁する。きっと自分の中に初めて生み出された
経験したことがない高ぶる感情に脳が追い付かなかったんだと思う。

そして人間はそんな新たな感情を探し求めている生き物なんだろう。
まだ誰も味わった事の無い、新しいモノ・新しい感覚。
あの60年代からもそうやって時代は積み重なり進化してきたのだ。


スポーツだって東京オリンピックの頃から比べると、
どんな競技も記録は伸びてるし色んな技だって驚く程に進歩している。
よくよく考えると同じ人間の体なのに不思議な話じゃないか。

そう考えると間違いなく時代は前に進んでいるんだよな。
過去に生み出されたものをさらに更新するために、
人類はあの手この手で色んな手法を追い求めてここまで来た。

芸術だって「まだ何か出来るはず」だと必死に突き進んできたわけだ。
だから今の時代を生きる人々は昔の人より確実に恵まれていると言える。
より多くの感情が、経験が、環境が、周りにいっぱいあるわけだから。

その時歴史が動いた


ビートルズ来日によって日本に生まれた「新たな感情」。
それを体験した世代が自分の中に生まれたその感情を糧に、
次なる何かを追い求めて奮闘する。まだ出会っていない何かを探す。
そして生まれた次なる感情が、また次の世代へと引き継がれる…

どんなものにも歴史がある。まさに『温故知新』ってわけだよ。
ビートルズ来日は今日まで絶大な影響を連綿と与え続けているのだ。
その歴史を想像するだけでご飯3杯はイケるよね。
ビートルズ有難う。あと米農家さんも有難う。


常に新しいものは生まれ続ける。そしてそれは人々を熱狂させる。
だから今俺らが当たり前に知っていて大した感動が無い物だって、
それが生まれた時のリアルタイムを生きた人々の感動は計り知れない。

そしてこのサイクルは今後も繰り返していく。
だから俺らは止まってはいけないし止めてはいけないんだろう。

「くらだらないモノが流行っている」「最近の若者は良く分からん」

こんな言葉を口にするようになればおしまい。ジ・エンドだ。
50年前にビートルズを否定した大人たちのようになってしまうぜ。

あの時の大人たちは、
ビートルズが教科書に載っている事実を観てどんな顔をするだろう。
かつて「わけの分からないもの」と言われていたビートルズ
これだけの歴史を刻んている事実に驚愕するんじゃないかな。


50年前、ビートルズの来日により間違いなく日本が変わった。
今俺たちはそれを味わう事が出来ないのは残念だが、
きっとこれからもそんな出来事に出会える日が来るハズである。

そしてそれはもしかしたら俺らからすれば
「くだらない」と思える事かもしれない。でもだからこそ未来は面白い。
そんな未来を観るためにも、瞑想と睡眠と野菜350gを続けて長生きしようね。


MUSIC LIFE ザ・ビートルズ来日前夜 (シンコー・ミュージックMOOK)
MUSIC LIFE ザ・ビートルズ来日前夜 (シンコー・ミュージックMOOK)

広告を非表示にする