脱R論

一般人の一般人による一般人のためのゆるくテキトーな音楽ブログ。ロックから脱却出来るその日まで音楽ネタを中心に書き綴ります。

【Album】パスピエ / &DNA [2017]


青春 それは。

&DNA(通常盤) &DNA(通常盤)
パスピエ

曲名リスト
1. 永すぎた春
2. やまない声
3. DISTANCE
4. ハイパーリアリスト
5. ああ、無情
6. メーデー
7. マイ・フィクション
8. スーパーカー
9. 夜の子供
10. おいしい関係
11. ラストダンス
12. ヨアケマエ

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「進化」という言葉はどう捉えたら良いのか悩む…。
そんな悩めるお年頃のアラサー男、いまだに思春期待った只中です。

いや、でもマジで「進化」って言葉を使うの結構難しくないスか?
進化っつーのは基本的には進化前と比べると
完全上位互換的な状況の時に使う言葉であって、
そうでもない場合ってどちらかというと「変化」って事になるわけよ。

サルから人間への進化だって知能的にみればそうかもしれんが、
身体能力的にはサルの方が優位なモノが多かったりしません?
そういう観点からするとむしろ人間は退化した部分もある事になる。

音楽評論なんかでも良く「○○は次のステージへと進化した」とか
それっぽい言葉を並べて置きに行ったような表現しているけど、
究極的には「進化」する事なんてよっぽどの事がないとありえない。

完全に以前と比べて全体的に格段にスケールアップしているとか、
没個性的な音楽から抜け出して強力なオリジナリティを手に入れたとか、
そんな状況でもない限り「進化」ではなく「変化」になるのではないか。

なのにやたらと「進化」を使いたがる。ポケ○○かよ。デジ○○かよ。
その癖「退化」という言葉は避けて「原点回帰」と言ったりするよね。
みんな都合良すぎだ。俺はそんな安っぽい美辞麗句は並べんぞ!


はい、パスピエの新作ですね、原点回帰です。

アルバムのタイトルは『&DNA』。英語にすると『ANDDNA』。
そう、上から読んでも下から読んでも同じ、
回文になっております。そういう事です。昔に戻りました。

ここ2作で『幕の内ISM』『娑婆ラバ』と連続で回文じゃなかったのに、
その前の『わたし開花したわ』『ONOMIMONO』『演出家出演』
の時のような回文に戻りました。


なんだかタイトル的にはちょっと懐かしい感じもするけど、
内容の方も原点回帰しているのか…と思いきや。
うーん、これは「変化」かなぁ。確かに懐かしい面もあるけど
原点回帰とも進化とも言えない、「変化」ではなかろうか。

結構今回の作品、パスピエ自身も最高傑作と豪語してたり、
パスピエが進化した!」みたいな反応も見られたりしたんだけど、
どうだろうか。俺には進化とまでは言えないんじゃないかと思う。

そりゃ日本最難関の芸術大学東京藝術大学出身のパスピエさんを
すーっと理解出来る高尚な耳をお持ちの皆様とは違って、
電気屋で通常音源とハイレゾ音源すら見分けられなかった
凡庸な耳をお持ちの俺には
彼らの進化を感じ取る事が出来なかったのかもしれないけどさ。


さて、ここ最近のパスピエの変化と言えば
これまでMVとかアー写では顔出しを控えていた彼らが
だいぶ顔出しするようになった事がある。これは結構な変化だ。
まぁライブでは普通に顔出ししていたわけだけどね。

つーかボーカルの大胡田なつきちゃんは可愛いと思う。俺は好きだ。
むしろなぜ今まで隠していたのか。隠す程の理由が分からん。
あれか。素顔見たさにライブ観にいった俺みたいな人間を釣るためか。

まあ仮面女子とかと同じミステリアス感を狙った戦略だったのかも。
だがもういつしかその仮面も必要ないという気持ちに変わったのね。
アナ雪見たのかな。ありのままの姿を見せる気になったのかな。


あとなつきちゃんの歌い方もかなり伸び伸びとしている。
その歌声から昔はポスト相対性理論的な語られ方もされていたけど、
もうそんなイメージはなくなっただろう。
ただここは人によって好みが結構分かれそうな部分でもある。

そして歌詞についても今までの面白い言葉遊びの色は薄れて
ちゃんとした歌詞が多くなってた。ここにきて真面目かっ!
少し寂しい気もするけど、ちゃんとした歌詞もそれはそれで結構良い。

あと音も凄いカッチリしてきた。システマチックな感じ。
日本的な音楽要素は『幕の内ISM』『娑婆ラバ』の頃と同様に健在だ。
それでいて色々とやってみたい音楽に挑戦したような曲もある。


でもやっぱり1曲目の『永すぎた春』の素晴らしさよ。
あのドラムの入りでアルバムの幕が開けるのは最高だ。
はんにゃの「ズクダンズンブングンゲーム」のイントロと同じリズム。

これから始まるワクワク感が半端ない。


そしてこの『永すぎた春』の歌詞。

行かないで 永すぎた春よ 四分の一の永遠よ
等身大の自分なんて何処にも居なかった

「青春」という言葉は人生を四季に例えると春にあたるのが由来とか
確かそんな意味があったと思うんだけど、
そんな過行く青春時代を「四分の一の永遠」と歌う儚さがグッとくる。

そして「等身大の自分なんて何処にも居なかった」とかいう歌詞が凄い。
青春時代に「東南アジアに自分探しの旅に行きますぅ」とか言って
結局自撮り写真を量産しただけで帰ってきた女子とかに聴かせたい。
青春時代は自分なんて分からないまま過ぎていくという切ない歌詞だ。

これが一曲目にある事で、パスピエ自身が新しい局面に入った事が伺える。
もう青春時代は終わり。永すぎた人生の四分の一。そう歌う事で、
行かないでといいつつも迎えなければいけない区切りを意識している。

ちなみに三島由紀夫の小説にも『永すぎた春』という作品がある。
読んだ事はないけど、婚約中の二人の恋の葛藤を描いた人気作らしい。
だからこの曲の歌詞とは直接は関係ないとは思うんだけど、
アルバムの最後の曲『ヨアケマエ』も島崎藤村の小説『夜明け前』
感じさせる辺り、パスピエの遊び心を感じさせる構成にニヤリだ。


そしてアルバム曲でリード曲と思われる『スーパーカー』も良いね。
シンプルに感動できる。パスピエはたまにこういう曲を持ってくるのよ。
あとシングル曲だった『メーデー』も好き。サビ入り前の「メメメ」の
言葉の連続がメットライフアリコのCMみたいで好き。

ちなみのメーデーって言葉には
「労働者の祭典」と「救難信号」の二つの意味があるが、
ここは後者の意味だろう。これはバンプの『メーデーで覚えた知識だ。
当時はバンプも「労働者の曲を歌うようになったかー」とか思ったけど、
そんな事は無かった。奴らはまだ永すぎる春の真っ只中だ。


こうやってアルバムの感想を並べると、
どれもこれも結構前向きに捉えても良さそうだと思われるが、
だがそれでも俺にとっては「進化」とは思えなかったんよね…。
なんというか少し前までのパスピエらしさが失われていく感じがして。

昔のパスピエらしさを取り戻したような印象がある一方で、
逆に『幕の内ISM』『娑婆ラバ』の頃の弾けた感じは薄くなっている。
あの頃が俺は好きだったんだよ。俺の中のパスピエらしさはあの頃だった。

でもまぁまた次はどう変化するのかは分らない。
昔っぽくなったといいつつも回帰したわけでもない。
この路線で行くのか、また全然別の方向性に行くのか。
誰にも分らない。おそらくパスピエ本人達も分かっちゃいないだろう。

まぁだからこそパスピエは面白いんだけどね。
このバンドはきっと同じでいる事に飽き足らず
次なる一手を繰り出してくるハズだよ。


あとDVDは良かった。PV集だ。特典DVDでPV集は何気に有難い。
ネットでPVが見れる時代とは言っても、コレクション魂はそそられる。
あとPVを順番に網羅しているのでパスピエのちょっとした歴史が伺える。
そして音楽の変化の変遷も辿る事が出来る。まさにパスピエのDNAである。

ここ数年精力的に活動中のパスピエ
前作『娑婆ラバ』の後に武道館ライブも終えて、
今作までの間に色々と感じる事があったんだろう。

もしかしたら次のアルバムを聴いたとき、
「ああ、前作はこういう位置付けだったんだ」と
振り返って納得するかもしれない。

だから俺は彼らの変化をこれからも見届けたい。
そんな事を期待させてくれるのもパスピエの魅力だしね。
永すぎた春を超えた、次の季節を楽しみに待ちたいな。


【採点】
・回文の原点回帰  30点
・顔出しNG解禁  30点
・変化を感じる一枚 10点
・俺の青春もまだ終わっちゃいない
           5点
75点