脱R論

一般人の一般人による一般人のためのゆるくテキトーな音楽ブログ。ロックから脱却出来るその日まで音楽ネタを中心に書き綴ります。

熱闘!クレーマー vs 表現の自由


絶対に負けられない戦いが、そこにはある。

自由の限界
自由の限界


岡崎体育のMV『感情のピクセル』が
ちょっとした炎上騒ぎになったらしいじゃん。
エモロック、ラウドロックサウンドに童謡の世界観をミックスし、
パロディ風に仕上げた非常に面白いMVだったんだが。

drr.hateblo.jp

 
そこまで燃え広がらなかったようなので俺も後から知ったんだけどね。
何でも「エモ系バンドを馬鹿にしている」と
ディス風に受け取ったファンがいるらしい。
まぁ今では沈静化して無事にアルバムも出たようである。


しかしこの手の炎上騒ぎ、
ここ数年でどんどん過熱していると思いませんかね。

花火キャンプファイヤー炎上騒ぎ
熱を帯びた場所に群がり、熱い娯楽に興じるのは
きっと遺伝子レベルで人間に刷り込まれているのだろう。
みんなアーチーチーに燃えてるんだろう。

でも炎上させられた側はたまったもんじゃないだろうな。
事と次第によっては人生を狂わせられる事態にもなりかねない。
まさに言いたい事も言えない恐ろしき時代である。ポイズン。


炎上はその多くが作り手が意図した内容とは異なる
ネガティブな捉え方」をされてしまう事で発生している。
そしてネガティブに捉えた方々の「正義」と
発信者側の「表現の自由」が衝突して火花を散らすのだ。

だが「正義」という概念もこれまたメンドクサイもので、
そもそも何をもって正義とするのかの意識が共有されていない状態で
勝手に自分の正義感を振りかざして相手に謝罪を迫ったりするのは
まさにジャイアニズムである。大長編ドラえもんでしか役に立たない。

俺はある程度にゾーニングされていれば、
表現の自由は出来る限り尊重したいと思っている。
しかしながら現実はそうでも無い場合が多いのである。

だから今日は過去のいくつかの炎上事例を勝手に考察してみたいと思う。
今回は個人ではなく企業CM等のメジャーなものに対する炎上を集めた。
百戦錬磨の企業でさえクレームにより折れてしまう事も多いのだ。

俺は「俺が不快だったんだから謝れ」を強要するのは
正義感の強い人ではなくもうクレーマーの一種だと思っている。
だから今回は敢えて「クレーマーvs表現の自由」と書いた。

おせっかいかもしれないが、何故炎上したのかを考察するのは
世の中を分析する上で結構大事な事なんじゃないかなと思っている。
今後何かを発表するにあたり炎上したらどうしようと
ガクガクしている方々に少しでも参考にして戴ければと思う。

岡崎体育 感情のピクセルMV



ハイ、まずは岡崎体育の話題のPV。

今邦楽で大人気のラウドロックを彷彿とさせる展開に沿って
ゆるさを挟んだりあるあるネタっぽいボケを仕込んだりしている。

これがラウドロック好きから「ディスられている」と批判を浴びて
岡崎体育本人が釈明するまでに至った。
俺は全然気にならなかったし炎上するとも思わなかったけど。

このケースはラウド系のファンがこのPVを
どこまでネタとして冷静に見れるかという点が分かれ目だろう。

例えばサザンやミスチルの歌マネをする芸人は結構数いると思うが、
サザンファンやミスチルファンが彼らのネタを見て
「逆上する」のか「笑う」のか。それと似たような話だと思う。
そしておそらくは多くのファンは「笑う」のではないだろうか。

つまり岡崎体育のMVもネタの一種と捉えれば楽しめるんだろうけど、
標的のバンドのファンとなるとまず「馬鹿にされた」という気持ちが
先行してしまって笑いに昇華出来ないまま怒りで反応してしまう。

でも歌ネタ芸人さんと同じように、ちゃんとマネしようとするならば
本気でそのアーティストの事を知らなければ出来ないはずである。
岡崎体育のバンドへの愛と熱意をしっかりと感じれば問題ない事案だ。

リクナビ 子どもに夢を託すなCM



「子供に夢を託すな」というセリフを子供に語らせるCMが
「大人を舐めるな」「世の中を甘くみるんじゃない」などといった
まさに大人の反応により炎上した案件だ。

この件についても俺は何が問題なのか全く分からない。

正直、このレベルで怒っている人って
人生を楽しんでないんだろうなって思えてくる。
だってこれを批判した人は多分このCMが「図星」だったからだ。

「子供に夢を託すな」というセリフは、
「いくつになっても夢は見れるんだよ」というメッセ―ジと
「子供には子供の人生があるんだよ」というメッセージが
綺麗に重なりあったとてもうまいメッセージなんだよね。
実際、俺もそんな世の中であって欲しいと思うし。

そう考えるとこれにムキになる人達は、
このメッセージが図星すぎて刺さりまくる夢のない人達という事。
さらにはその夢を子供に押し付けようとしている人達という事だ。

でもこれが炎上するって事は、今は窮屈な社会なんだなーって思い
なんだか悲しくなった。ただ、これについてはそんな問題提起もあって
むしろ良いCMだったんじゃないかと思っている。

ブレンディ 女子高校生を乳牛に見立てたCM


nlab.itmedia.co.jp
これはね「ああ炎上しそうだなー」って思ったよ。

牛達を高校生に例え、卒業式でそれぞれの進路を言い渡す演出のCM。
食肉を言い渡され泣き崩れる生徒などのブラックジョークもある。
胸の大きい主人公の女子高生は「濃い乳を」と告げられる。

炎上しそうだとは思ったけど、別に不快って感じではない。
巨乳ネタなんざ世の中にはごまんと溢れているし。
ただ普段からこういったネタが好きじゃない人は嫌だろうなぁ。

しかしなんというか、
俺は嫌ではなかったんだけど普通に作品としてつまらなかった
風刺だとしてもなんか例えが弱いし無理矢理な感じが否めない。

結局心にポンと響いてくるものが無かった。
何かの賞も獲得したCMで、ブレンディも感動作とか銘打ってるけど
感動とか深みとか、そういったものを感じる事は無かった。

だからもっとそこの見せ方を工夫すれば、
クレームももっと抑えられたんじゃないかと思う。
「おおっ!なるほどねぇ、考えたなー」的な。

そうすれば嫌悪感をも乗り越える説得力が生まれ、
強い共感性を持つCMとして認知されていたかもしれない。
素直に炎上をねじ伏せるだけのパワーがCMに無かったんだと思う。

日清 カップヌードルCM



矢口の起用によりバッシングを浴びた日清のCM。
これも「炎上するだろうなー」って思ったよ。

でも俺個人としてはタレントの不倫なんて別にどうでも良いので
不快とかは思わなかった。まぁ特段面白いとも思わなかったけど。

ただ、これについては「不倫した人間に仕事を与えるのか」とか
「被害者の気持ちを考えろ」「イメージを悪くしてどうする」といった
実に最もらしく聞こえる意見もあった。

しかし犯罪を犯した人間を罰するのは関係なき第三者ではない。
法律に沿って当事者が裁きを受けて罰せられてそれで解決する。
いつまでもそれを他人が攻撃し続ける社会は健全ではない。

さらにその人のイメージをどう使うかは企業が決める事だし、
それを部外者が「矢口出すな!」と言うのもなんだかおかしな話。
それでイメージが悪くなった人は買わなければいいだけで。

今では矢口も結構バラエティに出てるし俺も普通にそれを観てる。
ある意味ではこの日清のCMが復帰の狼煙だったのかもしれないね。
でも過去に寛容になれない日本ではこの手の案件は今後も炎上しそうだ。

ムーニー きみとママの、はじめてにCM



これ、炎上したんやねー。
子育てに苦労する母親が苦労しながらも最終的に笑顔になるCM。

「ワンオペ育児賛美」とか「父親は何してる」とか
「ベビー用品ブランドがこのCMは無い」とかそんな批判があった模様。

俺は炎上した後にこのCM観たんだけど、
いやぁー?ワンオペ育児賛美とかしてるかぁー?って感想。
皆さん正義感がお強いですなぁ。もしくは想像力が豊か?

これは本当に「子育ての現実」を描いた内容だろうし、
植村花菜さんの曲もいい曲じゃないか。賛美とまでは思わない。
大変な事もあるけれど、笑う事もあるんだよという子育てのリアル。

父親が出てこない!ワンオペ育児賛美だ!」みたいな意見もあるが、
確かに俺も理想は父親も育児に参加するべきだと思うけど、
企業CMは別に必ずしも理想を掲げなければいけないわけでもないし、
むしろ現実に即したPRをしていく方が妥当という場合もある。

実際に世の中にはシングルマザー等の理由によって、
このCMの女性のような状況にならざるを得ない方もいるだろう。
そういった事の大変さを表現しただけでも、
終始キラキラウキウキした雰囲気のベビー用品CMと違うと思うが。

つーかこれに噛みつきだしたらそれこそ
未だに昭和の家庭像を公共の電波で発信している国民的アニメの面々は、
「これが日本の良き家庭だと押し付けている!」と炎上しそうだけど。

ちふれ 女磨き、おろそかにしていませんか広告


news.biglobe.ne.jp


これにクレーム入れるはもう想像力とか正義感とか通り越して
拡大解釈、被害妄想の域なんじゃないかな…。

「仕事、家事、育児……女磨き、おろそかにしていませんか?」
のフレーズに多くの人が反応して「女磨きを強制している」とか
「仕事や育児で本当に時間が無いんだからこれ以上ヤメテ」とか、
いやだから賛同しなければ使わなければいいだけで…。

こういう別に自分の事を言われたわけでもないCMを
勝手に自分にケチつけられたと思ってスルー出来ないのは何故だろう。
自分が嫌いなCMに感化される人間が周りに増えるのが嫌なのか。
「そういう人もいるんやろうねぇ」ぐらいの気持ちで良さそうだが。

前提として「万人に不快な思いをさせない表現」など存在しないわけで。
猫がじゃれあっている映像でも嫌な人は嫌なんだよ。
「そうじゃない人の事も考えて」と言い出したらそれこそ何も出来ない。

もともと広告はターゲットに照準を絞って訴えるようなもんだし、
関係の無い世界に住んでいる人を巻き込むつもりは毛頭無いんだし。
でもちふれはこの広告を取り下げたんだよなぁ。
あらゆる方面に配慮しないといけないとなると本当に面倒だぞ…

激闘の末に

とまぁ、広告を中心に色々な炎上バトルを振り返ってみた。
どれもなかなかに熱かったね。これからの夏のシーズンには堪えるね。

この手のクレームの問題で厄介な事って、
発信側は別にバトルしたいとも何とも思っていなかったのに
いきなりクレーマー側がバトルを始めたがる事だ。
ポケモントレーナーかよ。目に入ったが最後、いちゃもんつけられる。


でもこの勝負って不公平だなーって思うんよねぇ。
だってクレーム勝負を仕掛けた側ってさ、
自分が負けを認めない限り負けないんだもん。

クレームされた側は大変だ。クレーマーは「謝罪」を要求してくる。
こちらが「謝罪」することがあちらが求めている勝利であり、
逆に謝罪しない限りあちらはずっと納得しないため負ける事がない。

無視しても言い続けてくるヤツはずっと言い続けてくるし、
下手に反応しようものなら場合によっては燃料投下となって
さらに炎上しかねない。これほど不利な勝負も無い。

明確な勝利があるとすれば、
クレームしてきた相手を逆に華麗に論破して「ぐぬぬ…」と言わせる事。
そんなカリスマ弁論力を備えていればあるいは勝てるかもしれない。

でもそんな逆転裁判みたいなスキルは皆持ち合わせていないので、
せいぜいは時間が経って沈静化するのを待つしか選択肢が無い。
それは勝利とは言えないかもしれないがドローにはなるだろう。


アメリカの『サウスパーク』ってアニメは
過激なブラックジョークやパロディ、風刺ネタを繰り広げるコメディで、
批判を浴びながらも高視聴率を記録する大人気アニメとして有名だ。

そのアメリカ社会への影響力は想像以上に大きくて
20年くらいシリーズが続いている長寿作品なんだけど、
面白いのは彼らが用いた表現は時代と共に規制されていくのではなく、
逆に新たな表現の突破口となって定着していったという事だ。

この辺りの寛容さがアメリカの凄いところだよね。
だって時代が進めば進むほどに表現の幅が広がっていくんだよ?
どこかの国と逆じゃない?新たな表現を皆に認知させ、広げていく。
そんな価値観の醸成に『サウスパーク』は貢献しているというわけだ。

やはり表現者は「強く」あらねばならないのだろう。
クレームを入れられても「いや、これは俺は良いと思う」で押し通す。
逆に簡単に皆が受け入れてしまうから「言えば通るんだ」という
どんどん表現の幅を狭める価値観が広がっていく。

クレーマーvs表現の自由
この仁義なき戦いはいつの時代も続いていくんだろう。
その先に待つ未来が寂しくない事を願いたい。

そもそも戦い自体、起こらないで欲しいんだけどね…。

サウスパーク 無修正映画版 [DVD]
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