脱R論

一般人の一般人による一般人のためのゆるくテキトーな音楽ブログ。ロックから脱却出来るその日まで音楽ネタを中心に書き綴ります。

脱R論 - 一般人の一般人による一般人のための音楽ブログ。

進学校に行って良かった事。


己の器の小ささを知る。


いつもね、このブログは俺がグダグダと毒を吐きだしては
勝手にデトックスして自己満足するという、
日本人の99.99999%にとって超非生産的行為に該当する
時間の無駄遣いコンテンツを提供していると自負しております。

でも残り0.00001%の人にとって
このコンテンツが時間を割くに値するものだと
思って戴けているのであればそれだけで俺は調子に乗る事ができるの。


ハイ、というわけで今日はそんな調子に乗った俺が
残り0.00001%の人からも見捨てられる事になるかもしれない話、
俺の自慢話をしたいと思う。


多くの人にとって他人の自慢話なんてのは
知らないタレントの朝ごはんのツイートくらいに興味が無いことだろう。
呑み会とかで「昔の俺は」とか武勇伝聞かされる度に
みんな心の中で「器ちっちぇえなぁー」とか思ってるでしょ?

でもいいじゃないか、ちっちゃい器でも
場合によってはほら、お供え物の皿とかに使えるじゃん?
俺にもたまにはちょっとした自慢話でもさせてくれよ。

俺、実は進学校出身なんですよ。


というわけでいきなりだが、
俺は県内でも有数の進学校の高校に通っていた。
地元の国会議員さんとか地場企業の社長さんとかも
俺と同じ高校の出身者が多い。俺の会社の社長も同じ高校出身だ。

でも俺は学歴社会みたいなのが心底嫌いだし早晩消えると思っている。
大体出身校とかでその人の価値を決めるとか合理性のカケラもない。
故に俺も嫁もそれなりの大学の卒業生ではあるが、
二人とも別に自分の娘に大学に行って欲しいとは思わない。

勿論、娘が何かを学びたくて行きたいというなら頑張れと言うが、
小さい頃からお受験させたり無理して進学塾等に行かせたりと
親が主体となって教育に情熱を注ぐつもりはない。

言うまでも無く、成績が良い事と楽しい人生を送れる事は全く違う話だ。
「アイドルになりたい」「漫才師になりたい」と言えば俺も応援する。
そういう夢を追い求めるには今は昔よりもいい時代になったと思うしね。


だが俺自身、「進学校に行って良かった」と思える事もあるのだ。
特に最近、進学校のメリットについて人と話していて感じた事。
それはズバリ「ガチで頭がいい奴の思考に触れられる」という事だ。

俺はその進学校と呼ばれる高校の中でも、
成績はまぁまぁの位置につけていたんじゃないかと思う。
高校3年生のときはクラスが成績毎に別れていて、
俺は理系で上から2番目のクラスに所属していた。

しかし、トップのクラスにいる連中のヤバさは尋常じゃなかった。
皆が東大京大を狙うのが当たり前の集団。そんなクラスの空気。
休み時間に教室のドアを開けようものなら、
クラスの全員が邪魔すんなとばかりにこちらを睨む空気。
ああ、今思えば俺にはあの視線がたまらなかったなぁ…ゾクゾク。

本当に頭がいい奴は凡人の思考なんてお見通し。


でもまぁ一応俺だってそんなクラスの人間と交流する事はあった。
だから俺もそんなガチで天才レベルの人間と話す機会も結構あったのだ。

すると分かるんだ。ガチで頭がいい奴はそもそも見えてるものが違う
そして俺ら凡人が考えられる範囲の事にも既に考えが及んでいる
そういう思考が出来るんだよ、彼らは。何故ならガチで頭がいいから。


ネットとかでね、誰でも自由に発言が出来るようになると
有名な実業家や学者に対して「こいつ何も分かってない」「ただのアホ」
「大した事ないバカ」等と簡単に誹謗中傷したりする人がいるけど、
もうそんな一般人の思考なんざとっくに一巡してるんだよ彼らは。

ガチで頭がいい奴が考えなしのテキトーに思える発言をしたとしても、
それに対して凡人が思いつきそうな批判や反応は彼らの中では
実はもう一通り自分の中で済ましている事が多い。

だから誰でも辿けるもっともらしい反論で軽々しく批判したところで、
頭が良い人間からすればそれは「相手にするのも馬鹿らしい」レベルの
大した事が無い内容である事が殆どであり、大体の場合は無視するのだ。

でも批判した側は自分がマトモで良識がある人間だと思い込むのね。
しかも半端に学歴が良かったり組織でそれなりの位置にいる人間とかが
そういう思考に陥りそうな感じがする。なんとも滑稽な話だけど。
ああ怖い。頭が良い人マジで怖い。俺も怖くて下手な事言えねえ。


でもガチで頭が良い人間と言うのはそういう人種なんだよ。ホントに。
ちょっと仕入れた知識程度で頭いいと感じちゃう一般人とは違うの。
そしてそんな人間の思考を感覚的に経験できるのが進学校だったんだよ。

「あ、この人にとって俺の話はもう分かり切った内容なんだろうな」
という、自分とは明確に積んでる頭のエンジンが違う人と話す経験。
幼児が必死に繰り出すパンチも大人なら軽くあしらえるように、
凡人が繰り出す大抵の思考も天才はとっくに検証済であるという事だ。

これって所謂、アレだよね。バカの壁ってヤツだよね。
バカの壁 (新潮新書)
バカの壁 (新潮新書) 
昔ベストセラーになった本。俺も学生時代にコレ読んで、
「ああ、これ書いた人頭良いんだろうけどムカツクなぁ」と思った。
でもそれこそがまさにバカの壁なんだと自覚したんだ。
凡人に天才の思考をトレースする事なんざ出来ないんだ。

凄いヤツに会い、自分の程度を知る。


そして本当の天才は自分を大きく見せたり威張ったりしない事が多い。
というかそんな必要が無いからだ。俺ら凡人の必死の発言や行動も
貶したり否定したりせずに「可愛いな」と思いながら
黙ってちゃんと見てくれているのだ。ホントもう頭が上がらない。

勿論、本や講演会等も頭が良い人間の思考に触れる機会なんだろうけど、
その思考を肌感覚で経験できるというのは、進学校の大きなメリットだ。
そしてそういう人間の思考に直接的に出会える事でまた
自分の程度を知る事ができるのだ。これは大きなポイントである。


本とかネットだと確かに自分も頭が良くなった感覚に見舞われるが、
進学校では自分よりも明らかに頭が良い人間と出会える事で
相対的に己の頭の限界を知る事が出来て妙に自尊心が高くなったりしない。

これが、同じ学力で偏差値が上の学校に入って中間の成績でいる場合と
偏差値が下の高校でトップの成績だった場合の大きな違いなのだ。
周りの人間が違う。環境が違う。お山の大将とは良くいったもので、
次元の違う人間の思考というのはいい意味でプライドを砕いてくれる

だからその点について俺は進学校に通って良かったと思っている。
ああ、自分の頭の良さなんて所詮この程度だったんだな、
と感じる事ができた。それを身を以て知る事ができた。

そして勿論、その進学校でトップクラスだったところで全国には、
そして世界にはもっと上がいる。そういう事も感覚的に分かる。
「凄い奴」と出会えるという事はとても大事なのである。

これからの凄いヤツは学校にもいないかも。


そんなわけで進学校に行く大きなメリットは
マジやべぇ奴に会える」事だ。
自分の想像を超える思考をする人間と同じ空間にいるのは刺激的だ。

だが、そんな進学校もこれから先の未来はどうだろう。
おそらく学校にいる凄い奴の割合ってのは下がっていくんじゃないかな。


今までもガチで凄い奴は社会に出てからでは無くて、
大学在学中や高校生の頃から
既に何かしらの実績を作っている人間が多かった。

しかしこれから本当に凄い奴はもっと若いころから頭角を現し始め、
わざわざ進学校や大学に行く事の意味を疑い始めて、
敢えて今までは当たり前だった道を通らない人も増えてくるだろう。

そうなるとガチで凄い奴はそもそも学校に来ないという事も考えられる。
実際に何かを極めたい人間にとって学校という機関はあまりに非効率だ。
色々な事のスタートアップのハードルが下がってくるこれからは、
凄い奴程より一層、真面目にお受験なんかやってらんないじゃないかな。


だとすると企業の人事採用も考えものだ。
本当に凄い人間は有名大学にいるとかいないとかいう以前に
そもそも就職活動すらしていないかもしれないんだぜ。

今までの人生のルート、ロールモデルは続々と崩壊していくんだろうね。
そうなると俺が思う進学校のメリットもこれからは薄いかもしれない…。


ただ、いずれにしてもマジで頭が良い人間との出会いは大切だと思う。
それがあると傲慢にならずに自分という人間を客観的に見れるのだろう。
そして平気で人を馬鹿にしたりしないで済む。

人生において一度でもそういう出会いをしておく事を娘にも教えたい。


大合格 参考書じゃなくオレに聞け!
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