脱R論

一般人の一般人による一般人のためのゆるくテキトーな音楽ブログ。ロックから脱却出来るその日まで音楽ネタを中心に書き綴ります。

ジャズ奏者が中学生に手を挙げたのは子どものためなのか?


大人のための大人じゃ面白くない。


俺はジャズには詳しくない。

かと言ってロックに詳しいかと言われれば
まぁ平均よりは詳しいだろうけどなんか最近は自信ない。

どちらかというとコンビニの新商品とかに詳しいかも。
あと奇抜な味のカップ麺とかスナック菓子とかアイスとか。
あの類には大体手を出す。そして6割後悔する。


そんな4割の希望を求めるコンビニハンターが考えるこの事件。
もう旬が去った話題で後出し感が半端無いんだけど、
やっぱ気になるよね。世界的なジャスの先生が中学生にビンタしたなんて。

ジャス界では有名らしい日野皓正氏が(俺は知らなかった人だけど)
発表会での演奏中にずっとドラムを叩き続けた子どもを叱りつけ、
なかなか言う事をきかないので最終的に暴力を振ったという事のようだ。

雑誌・テレビ等で報道され、芸能人とかもコメントしたりして
様々な所で賛否両論盛り上がったわけなんけど、
最終的にあの子どもは反省はしているらしい。

色々あったけどまぁ~るく収まったのならそれで良かった良かった…


…となるかーっ??

これで良いのか?
本っ当にこれがハッピーエンドなのか?
この話の帰結は「我儘な子どもが襟を正した」で良いのか?

確かに躾という視点で見ればそれは正解かもしれない。
だが一方で、この件で逃してしまった事もないだろうか。
あの中学生が「音楽って面白い!」という体験をする機会だ。

今回の事件によってあの中学生は今後、音楽を楽しむ事に対して
必要以上に身構えてしまう事になったのではないだろうか。

体罰は良くないし、それ以前に全く面白くない。


俺は「あれは暴力と呼べる程に力はこもって無かった」とか
「昔は体罰なんて当たり前だった」とかそういう議論はどうでも良い。

というかダウンタウンの松本がこの件に関して
「我々は体罰を受けて育ったけど常識がある」等と発言していたけど
俺としては「おいおい松本がそれを言うか」と正直意外だった。

ここで「体罰を受けていなかったらもっと良く育った可能性」を
想像できないのが実に残念。勿論それを実際に比較する事は難しいけど、
少年犯罪の件数は昔の世代より今の世代の方が少ないというデータはある。


いや、俺が本当に言いたいのは体罰がどうこうとかいう話じゃないんだ。

今回の件、日野先生が子供に「音楽の面白さ」を伝えきれなかった
という点において、手を挙げるんじゃなくて他に方法が無かったのか
反省するべきじゃないかと言う話なんですよ。

俺の見方はシンプルに「面白い」のか「面白くない」のかそれだけで、
今回の件に関しては間違いなく「面白くなかったなぁ」と言える。
あの場の空気をコントロールして面白い方向に向かわせる事は
世界的なジャズトランペット奏者を以てしても難しかったのだろうか…。

皆に「音楽の楽しさ」を伝えられたか。


ジャズというジャンルは本当は即興性、アドリブを楽しむ音楽である。
ジャズには詳しくないコンビニハンターだがその事は知っている。

ジャズのトップミュージシャンは譜面を無視して
その場のテンション任せに演奏するという話も耳にする。
そこにスリルだったり感動だったりが産まれるわけだ。

そういう「型からはみ出す」音楽と言うとロックを連想しがちだが、
音楽の歴史的にみればロックが流行る前はジャズが主流だったわけで、
むしろロックの精神性にはジャズから受け継がれた要素が多数あると思われる。

そう考えるとあの場で叱られた少年は、
実はジャズを楽しんでいたのはなかろうか。

ノリにノッて気分が高揚して既定の流れでは満足できなくなった彼は
自分の演奏に酔いしれて「まだ演奏を続けていたい!」と思ったのでは無いか。


だが当然、彼の「自分に酔う」行為は「我儘」と人々の目には映った。
輪を乱すものは反乱分子。俺もその場にいたらそう思っていたかもしれない。

しかしその場を仕切っていたのは高名なジャズ奏者の日野先生だったわけ。
となれば当然、即興のジャズ演奏など幾らでも経験してきたはずだ。

誰かがアドリブに入ったら誰か別の人が乗っかり新たな局面に突入する。
そしてその波が全体に広がって互いの息遣いを感じながら演奏が続く。
そんなジャズの醍醐味をきっと知っている方だと思うのよ。

となればやっぱりあの場面だったら
彼にも「止めに入る」以外の選択肢も浮かんだんじゃないのかな。

ドラムの中学生が演奏を止めないのであれば
周りがポカンとしているのを先生は放っておくのではなく、
他の奏者にも彼に負けないよう自由に演奏に乗っかるような指示を出し、
中学生のテンションを軸に新たな波を作り上げる事は出来なかったのかな。


勿論口で言うほど容易くはないとは思うし、
中学生にそんな即興でイイ感じの音を鳴らせというのは難しいだろう。

でもそれでもいい。
失敗して聴けるレベルの音楽にならなかったとしてもいい。
そこでやらせてみて「これがジャズの楽しさであり難しさなんだよ」
ちゃんと先生から皆に説明出来れば良かったんだよ。


テンション任せでそれぞれのパートが好きにやってみて、
その場限りの不思議なセッションが生まれる。その感覚を味わって貰う。
そういう方向にあの場をコントロールしていれば、
最終的に失敗していたとしても、みんなが「音楽って楽しいな」
感じる事が出来たかもしれないのではないか。

曲の完成度、予定通りに事が進む事、そういった点ばかりに注力して、
肝心の子どもたちが「音楽を楽しむ経験」を得るという
チャンスが失われた可能性。俺はそこが気になって仕方が無い。

仮にもしあの場で次の新しいセッションが始まっていたとしたら、
きっと大きな感動があったんじゃないかと思うし、
今回みたいなネガティブな話じゃなくて
素晴らしいエピソードとして語り継がれていたと思うのだ。

結局、偉い人には何も言えない…


「じゃあお前なら出来たのかよ」と言われれば…
すみません、多分出来てません。てへっ。
自分も「やばい、これは一旦止めなければ」と
その場では判断してしまっていたと思います。

でもやっぱりね、
これが実際のジャズミュージシャンの人でもそうなのかという事。
しかも教えているのが偉い先生だったのなら尚更そう思ってしまう。

そしてもう一つ、周りの人間も
「偉い先生に教えて貰っているんだから」と盲目的になっている事。
ここについては考える余地があるでしょう。

我々は無意識的に子どものポテンシャルを舐めていて、
そして高名なジャズの先生が考えている事にはなんの疑問も呈さない。
これって結局は権威主義的な考え方に近くて、
本来は自由であるはずの音楽の思想からは遠く離れてしまってるわけよ。


この気分、俺も昔から音楽批評やレビューを読んでて
同じような気持ちになる事がある。

「○○というアーティストからは△△へのリスペクトを感じる」とか
「●●の曲には▲▲という曲のフレーズが使われており」みたいなヤツ。

いや、その事自体は別にいいんだよ。分かりやすいしためになるし
というか俺もその言いまわしめっちゃ使ってるし否定はしないんだけど、
何かと言えば「上の世代への参照」がある程、持ち上げられやすい風潮。
先人たちの流れをしっかりと汲んでいる事が評価されやすい音楽評論。

つまりはこれって完全に年功序列老害政治みたいなもんなわけですよ。
上の世代が「うんうん、俺達が言った事をちゃんと聞いてやってるな」
て言いたいだけ。音楽が最も嫌っているタイプの仕組みやん。

なんでこうなっちゃったの?年上が納得する事ばかりが正解なの?
違うだろ?ちがうだろー!このハゲー!

音楽って楽しいんだよ。


リスペクトする事は決して悪い事じゃない。
でも上の言う事を鵜呑みにするだけじゃやっぱり思考停止だ。

少なくとも今回のジャズミュージシャンの件は、
すっごい「大人の目線」で片付けられてしまったように感じる。
そして本来子どもが獲得出来たかもしれない「音楽の楽しさ」を
大人の都合で取り逃がしてしまったのではないか。

今回の件、体罰の是非ばかりが目につくけど
それ以前にあれは音楽的に見ても面白く無い対応だった。
もっと別の道があったんじゃないかと思うよね。

叩かれた中学生が別の何かで音楽の楽しさを再体験する事を願っている。

まぁ、俺は楽器出来ないけどね!