脱R論

一般人の一般人による一般人のためのゆるくテキトーな音楽ブログ。ロックから脱却出来るその日まで音楽ネタを中心に書き綴ります。

「体育の日」と「スポーツの日」、名前の違いを甘く見るな。

万物は名前に支配されている。

 

「体育の日」が「スポーツの日」に変わるかもしれないらしいぞ。
東京オリンピックへの機運を高める目的があるようだ。

⇒体育の日、スポーツの日に変わるかも 初のカタカナ祝日



超党派で発足させたスポーツ議員連盟とやらが法改正に動いている。
成立すればなんでも初めてのカタカナ入りの祝日だそうだ。

「そんな事に時間かけて議論するのか本当に暇だな国会議員」とか
「名前変えたところで別に何も変わらないだろ馬鹿げてる」とか
超党派まで組んで何してんだ税金返せ」とか、
そんな声もまぁ分からなくもない。


だが、ちょっとだけ待って考えてほしい。
名前というのは凄い重要な要素なんだ。

仮に俺も自分の名前が「うんぽこ丸」とかだったら
確実に違う人生を歩んだ自信があるぞ。
つまり名前ってのは思っている以上に影響がデカい。


そもそも名前が持つ効果は絶大だ。

召喚術においては「真の名前」を支配する事で、
召喚対象を意のままに操る事ができるとされている。

日本でも「名は体をあらわす」と言ったりするし、
世界には名前を知る事で呪詛を行う宗教だってある。
実際にそういった「名前」を題材にした作品も多い。

千と千尋の神隠し』なんかはモロに名前がテーマだし、
DEATH NOTE』は名前を知る事で相手を死に追いやる事ができる。
夏目友人帳』も名前を巡ったやり取りが軸にある作品だ。


やや話が逸れたが、
結局名前が変わる事が与える影響を舐めてはいけないのだ。

「そんな事言ったって”体育”と”スポーツ”は一緒じゃん」
とか思った貴方、センター試験の英語は9割近くだった
なんかそれなりに英語出来る俺から言わせればそれは間違いだ。
もし貴方がセンター英語で9割以上取ってたらなんかゴメン。


体育は英語で「physical education」。
そう「education」。つまり教育なんだよ。
さらに言うと「sports」に当てはまるバッチリな日本語は存在しない。
スポーツは従来の日本語には存在しなかったニュアンスを持つ言葉だ。

体育とはあくまでも教育。
そこには体力をつけて健康の増進を図るという意味がある。
精神的な鍛錬の意味も含まれるだろうが、
とりあえず「競技で勝つ」という意味には捉えにくい。

体育と聞いて「何らかの競技大会で入賞を目指す」
というイメージが沸いてくる人は殆どいないのではないか。

対してスポーツではどうか。
スポーツという言葉だと競技的な意味合いが出てくる。
体育よりもより実践的な印象が強くなってこないだろうか。
体育選手とは言わないけどスポーツ選手っていうもんね。


いかがだろう。
普段はなかなか意識しないかもしれないが、
名前の持つイメージというものは思ったより大きく作用する。

「体育の日」が「スポーツの日」へと名称変更となれば、
文字面を読んだだけでは別になんとも思っていなくても、
その名前の違いが微妙な意識の差を生み出しそうじゃないか。

故に東京オリンピックまでに意識を高めるならば、
この名称変更も意味が無いと切って捨てる事はできない。
少なくとも俺は効果があると思っている。


ただ「体育の日」が制定された理由が
1964年の東京オリンピックだったというのがなんとも皮肉なもんだ。
その時に最初から「スポーツの日」にしてれば良かったかもしれんが、
まだ外国語もそこまで定着していなかった時代に
カタカナ文字の祝日はやはり抵抗があったのかな。



名前というものはやっぱり大事である。

キラキラネームだって俺は別につけるなとまでは言わない。
それもまた時代によって変わっていくものだろうし。

だが名前によって縛られる部分も少なからず存在する事を認識し、
よくよく意味を考えて願いを込めて名づける事が大事だ。

それを考え抜いた上で出した答えが「うんぽこ丸」だったならば…

えっと、うんまあいいんじゃないの?

440366234X ウンポコ vol.16 (ディアプラスコミックス)
新書館 2008-12-27

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