脱R論

一般人の一般人による一般人のためのゆるくテキトーな音楽ブログ。ロックから脱却出来るその日まで音楽ネタを中心に書き綴ります。

ハイスタとメディアの役割とこれからの時代のリアリティと。


みんなちがって、みんないい。

 

2016年も終わりだ。
皆さんどんな年の瀬をお過ごしでしょうか。
俺は先日やっと年賀状を出しました。遅れて届いた方ごめんなさい。
面白い感じにしてるからそれで許して。ね。

あと今年の漢字は「金」だったね。きん。かね。
以前も「金」の年があったような気がするけど…どうだったっけ。
でも資本主義社会なら「金」こそ大事。もう毎年「金」でいいよ漢字。 

ちなみに最近俺も金に困っている。
いきなり車不調になって修理に金かかるし飲み会続くし。
スーツも靴もかなりボロボロだから新調しなきゃ。スーツ面倒だなぁ…。
パジャマとまでは言わないから、せめてジャージにスリッパOKにしてくれ。


今年最後に。


さて、そんなわけで今年の総括記事だが
「ハイスタとメディアの役割とこれからの時代のリアリティと」だ。
タイトルが金子みすゞ的で良く分からん感じになった。
でも本当にこんな感想なんだよ。 飲み会続きで頭回らねーんだ。察して。

今年は特に「メディアの役割」と「リアリティ」について
多く考えさせられた年だったと思う。

ネットで誰でも情報発信出来る時代になってもう既に結構な時間が経つが、
それでもまだなかなか消えないくらい既存のメディアには力があった。
しかし今年、既存のメディアは従来の役目を終えたような節目を感じた。

そしてもう一つ「リアリティ」。
今年『シン・ゴジラ』がリアリティのある作風で話題となったし、
ポケモンGO』もAR(オーグメンテッド・リアリティ)
という技術を使って現実世界とポケモンの世界を繋ぐという
ある意味でリアリティの高い娯楽として大成功を収めた。

他にも最近人気上昇中のアニメ映画『この世界の片隅に』も、
非常に高いリアリティが賞賛されている作品だ。
この前観たのでこちらもいつか感想を書きたい。
そう考えると今年のキーワードは「リアリティ」とかいいんじゃないか。


とまぁ、その辺の感想をハイスタと絡めてつらつらと書いていきたい。
大丈夫か俺?ちゃんとまとまるんかな?
とりあえず今年最後の記事、宜しくどーぞ。


ハイスタはいつだって時代を読んでいた。


さて、先日俺は「AIR JAM 2016」に行ってきた。
福岡ヤフオクドームでの開催。動員数は4万人。
ヤフオクドームでスタンディングは史上初だったそうだ。
前日に風邪をひいて会社を早退し点滴を打ってなんとか回復し臨んだ俺。
最後は満身創痍だったけど楽しかった。生で観れて良かったよハイスタ。

さて、そんなエアジャムの主催者であるハイスタだが、
彼らは時代の潮目を読むのが本当に上手いバンドだった。
90年代に日本にいち早くメロコアを輸入してブームにしたのも彼らだ。

そしてハイスタは2000年代以降にライブが重要になることを予見していた。
1997年、FUJI ROCKの1回目と同じ年、そしてROCK IN JAPANよりも
先に開催されたのが彼らが主催するフェス「AIR JAM」だったのだ。

インターネットの台頭により音楽を聴くという行為のハードルが下がると、
次なる音楽の消費は徐々に体験型へシフトしていくだろうという予想。
ファンも受け手ばかりではなくバンドと一緒に空間を作り上げる感覚、
よりリアリティ、ライブ感を持って音楽を感じていく趣向が強くなる。

ハイスタはきっと直感的にそんな事を考えていたんじゃないかと思う。
彼らは多分理論的というよりセンスで動いている。そして大概当たる。
実際に今の音楽市場はライブがメインといってもいいくらいの状況だ。


そんなハイスタが今年やった事で大きな話題となったのがゲリラ発売だ。 
これは凄かったし誰もが驚いただろう。事前告知一切なしの新作発表。
発売日当日にいきなりハイスタの16年半ぶりの新曲が店頭に並べられた。
ショップ店員は知っていただろうけど誰からも情報が漏れる事が無かった。

このサプライズには当然ある程度の知名度が必要ではあるものの、
結果は大成功。SNSによってハイスタ新作の報せは瞬く間に広がり、
最終的にはオリコン1位を獲得するまでに至った。

SNSによる口コミが結局はニュースになったようなものだが、
この既存のメディア戦略にのっとらないスタイルは実に爽快である。 
皆がワクワク感を共有する事で起こったハイスタらしい一幕だった。

既存のメディアは役割を見直せ。


思えば今年の4月、熊本地震のときもそうだった。
ツイッターなどのSNSが震災の時の情報共有やアラート発信に
大いに活躍していた。デマもあったのは残念だが、
現場にいる個人が状況を広く発信出来るという事の意味はやはり大きい。

そしてこういった現場では逆にマスコミが非常に迷惑とされた。
現場で必死の思いで避難して来た方へ執拗に取材を繰り返すマスコミには
多くの人がウンザリしていたし、またそのマスコミのひどい姿そのものも
SNSを通じてネットで拡散されていた事は記憶に新しい。

実際、昔と違い個人がリアルタイムに発信できるという状況下において、
既存のメディアには果たしてどれくらいの役割が残されているのだろうか。
視聴率稼ぎに奔走するメディアより、現場の人から発信される情報の方が
よりリアリティを感じられる事も多いのは間違いない。

またハイスタのゲリラ発売時と同様、基本的に個人メディアの方が
スピード感がある。何故ならそこにはフォーマットが無いからだ。
大手メディアのように定型のニュースとして発信しようとすると、
やはりある程度のフォーマットに合わせて文章を考えなければならない。

しかし個人メディアにはそんな約束事がない。
知った事思った事感じた事が脊髄反射のように発信されるのだ。
文章の誤字脱字も逆にその時の精神状態を計る指標にすら成り得る。
個人メディアの強みはその不定形によるリアルさ、生の声なのだ。
この点においては大手メディアでは勝ち目がないだろう。


個人のコンテンツが脅威となる時代へ。


「保育園落ちた日本死ね」の件も、今までのメディアが言うよりも
個人の発言とその強い語気のインパクトにリアリティがあった。
勿論「日本死ね」という言葉は使いたくないし発信元も分からないが、
こういった発言の方が注目されるという事実が今の時代という事である。

空虚で遠い世界のように感じる大きなメディアの情報より、
個人が発信したパーソナルな発言にリアリティが感じられる。
実際に体験者が語る話だからこそリアリティが最大限になるわけだ。


インターネットの技術が出来て多くの新しいメディアが生まれた時代には、
まるでネットというインフラそのものが巨大な一つの敵であるかのように、
既存のメディアに関わる多くの人がその存在を否定的に捉えていた。

しかし時は流れて色々な媒体がネットを活用し始め、
新聞などの旧来のメディアも積極的にネットでの発信をするまでになった。
最早インターネットは脅威の対象と言うより利用すべき場となったのだ。

しかしそのネットメディアですら今や勢力図が大きく揺れ動いている。
これまでの例で見てきたように既存のメディアの存在意義が変化している。 
そして個人発信の影響力がどんどん大きくなっている事を感じている。

そこにあるのはやはり「リアリティ」なんだろう。
人はよりリアルを感じるコンテンツへと流れていくのだ。
昔のフォーマットに沿った古いメディアは今後淘汰されていくだろう。


もっと個人の発信に注目したい。


先日、あのキングコング西島さんがこんな事を言って話題となっていた。

⇒キングコング 西野 公式ブログ - まだ『情報解禁』とか言ってんの? - Powered by LINE

つまり今は誰もが皆クリエイターになる時代。
エンドユーザーを意識したコンテンツではなく、
相手もまたクリエイターであるという意識で臨めという事だ。

また西岡さんの話ではハイスタは情報開示をしなかったとあるが、
敢えて既存のメディアで事前に開示しなかった事で
逆に個人での情報拡散効果があったという意味ではこれもニュースだった。
だからこの現象も誰もが発信者となる時代だという事の裏返しでもあった。

こうなると逆に一次ニュースが個人で、二次ニュースが大手メディア、
なんて話にもなってくるし実際にそうなった事例も数多くある。
ますます個人のメディアがどんどん幅を利かせてくる時代だと言える。 

個人発信によるリアリティーこそが価値を持つ時代。
もともとそういう時代の到来ではあったのだろうけど、
今年はそれを強く意識した一年だった。


こんな事を言いつつ俺も実際は結構独りよがりであり、
情報もまだまだ大手のメディアばかりを見る事が多い。
だが真のリアルというのはやっぱり個人にこそあるんだろうな。

だから来年はもっと個人の発信にも注目していきたい。
もっとミクロな世界の色んな人を覗いてみたい。
そうするともっと見えてくるものがあるはずだ。


今まであまり気にしてなかったけど、
来年はもうちょっとブログというメディアを意識してみたいと思います。
そんな事を思った年の瀬。こんな俺ですが今後とも宜しくお願い致します。

それでは皆さん、良いお年を!


Discover Japan(ディスカバージャパン) 2017年 02 月号 [雑誌](特集:西野亮廣)
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