脱R論

一般人の一般人による一般人のためのゆるくテキトーな音楽ブログ。ロックから脱却出来るその日まで音楽ネタを中心に書き綴ります。

ゲームで学ぶ、ルールの大切さ。


大人も子供も、おねーさんも。


今日はちょっとゲームについて考えた事を書いてみたい。

まず断っておくけど、俺は全然ゲームの否定派ではないしむしろ肯定派。
ゲームを通して経験する達成感や感動は何物にも代えがたいものがあるし、
今や「e-Sports」等で世界的にもゲームは競技化が目覚ましいし、
将棋や囲碁と同じようにもっとゲームの地位も上げて欲しいと思ってる。

だからそのうち俺の娘が「徹夜でゲームしたい!」
と言い出しても全然させる。むしろ一緒にやりたい
何かに夢中になっているときは脳味噌が一番働いているときなんだ。
そんなものを中断させるなんて勿体ない。納得がいくまでやるべき。

だが一つ思う事は、ゲームをやる際にはどんな種類のゲームにおいても
そのゲーム内に定められた「ルール」について考えて欲しいという事だ。
ルールというものがどういった目的で定められているのか想像する事。

だからその上でまず、デジタルゲームもいいけど
どちらかというとアナログゲームで「ルール」を決めるという事の
大切さと楽しさを味わって欲しいと思っている。

ルールを作る事を知らない子供たち。


ルールは守らなければいけない。それは当然だ。
法律であれ校則であれ社則であれ、
決められたルールには従うべきだ。

だがルールは変えていくものでもある。
時には追加されたり削除されたりする。
永久不変のルールなどこの世には存在しないわけです。

だから我々はルールとは神が与えた絶対的なものなどと捉えずに
分析し、疑いの目を向け、より良い方向へと導く必要がある。
大事なのは「今、どういったルールが有効なのか」を考える事である。

例えば法律や条例は国や自治体で選ばれた代議士たちで作るルールだ。
だから彼らに投票する我々も、今の時代に求められているルールが何かを
常に意識しておく必要がある。昨今は特に政治が後手後手に回る事が多い。
自分達が自分達のためにルールを作っているのだという感覚が大事だ。


しかし、子供達はこのルールを作る側にはなれないのである。

大人だって会社の規約を作る側になるのは管理職以上が殆どだろうが、
それでも上記のように選挙に参加したり地域や家庭でのルール作りなど、
子供よりもルールを作る側になる機会は多いと思う。

しかし保育園や学校のルールは子供達では決める事が出来ない。
全部大人が決めている。それはまぁ当然なんだけど、でも子供にだって
ルールを作る事を経験させておく事は将来重要になってくる筈なのだ。

アナログゲームでルールを作ろう。


その役目を担っているのが俺は「ゲーム」なんだと思うわけよ。

特に子供同士で行う簡単なアナログゲームが効果的である。
アナログゲームはルールの変更⇒適用⇒検証⇒批評のサイクルが行い易い。
というかきっと無意識的に皆行っているんじゃないかと思う。

鬼ごっこでも子供達の中で禁止エリアのようなものを作ったりするし、
紙相撲やビー玉遊びのようなスケールが小さいものでも
日々、子供達の中でルールが生まれたり消えたりしていると思う。


「この部分は統一しよう」とか「これはバランスが崩れるから禁止」とか
他にも団体戦だったり勝ち抜き戦だったりの勝負の方法をアレンジしたり、
そしてあるルールをやってみたらまた別のルールに変えてみたり。

とにかく自分達でルールを決めては問題があれば変更する。
それが柔軟に行えるのがアナログゲームのポイントなのではないか。
深くは意識せずとも自然とそういう経験が積めるのだ。

トランプの大富豪ゲームのローカルルールなんかもそれに当たる。
多くの人が「これがあった方が良い」と思ったルールが
そこで定着したりする。ゲームはルールがあってこそなので、
そのルールをカスタマイズしながらより面白さを目指すというのは
実はとても貴重な体験でもあるわけだ。まさに勉強では学べない要素。

デジタルゲームでルールを破ろう。


そしてまた、アナログゲームだけでなく
デジタルゲームも面白い感覚を提供していると思う。
それは「ルールを突く」「ルールを疑う」という点だ。

デジタルゲームアナログゲームとは違って
そもそも決められたルールをユーザが破る事が出来ない。
しかしだからこそ、そのルール内でいかに強くなるのかを模索する。

そうしたときに、たまに生まれてくるのが
「製作側が想定できなかった」案件だ。
ルール内で遊んでいるんだけど、ルールを作った側の想定外の問題。

対戦ゲームなどが分かりやすい。ユーザー側が製作者の想定に無い
ルールの虚をついたようなプレイを発掘して対戦で猛威をふるう。
そして制作者サイドが慌てて大会で制限をかけるといった事がある。

決められたルールの中でいかに立ち振舞うか。
これはある意味ではユーザ側と制作者側の駆け引きのようなものである。

校則の範囲の中でいかにオシャレが出来るかを探求する女子高生も同じ。
私服は校則違反だからしないけど、出来る範囲でMAXに着飾る女子高生。
ある意味賢い。こういった駆け引きは将来役に立つんじゃないかと思う。

また、スポーツ対戦のゲームにはちゃんと「ペナルティ」が存在する。

これって実は結構面白い話で、
ゲームシステムでガチガチにしてしまえば
ペナルティなんて発生させない事も可能なんだけど、
そんな事はされていないわけよ。

これはペナルティを取る事も一種の駆け引きとして
選択できる余地をゲーム制作側が残しているからだろう。
これは興味深い。我々にルールという概念を考察させてくれている。


あと、昔からデジタルゲームには
「裏技」「バグ技」のような発見が付き物だった。
それは開発側が敢えて残したものだったり意図しないものだったり、
種類は様々であるが子供達はそこで「ルールを逸脱する」事を知る。
ルールが絶対的では無い事も感覚的に学んでいたんじゃないかと思う。

このようにゲームというのはアナログにしろデジタルにしろ、
必然的に「ルール」というものを意識させる構造になっているわけだ。

 

ゲームには”熱中”しよう。

 

勿論、ゲームをただ受動的に遊んで終わるのではなく
ここで一歩踏み込んでルールについて考察する事が出来るのかどうかが、
将来的にルールを鵜呑みにする側なのか考える側なのか
分かれ目になるんじゃないかとは思う。

アナログゲームで自分達のルールを盛り込むという事をやったり、
デジタルゲームで必死にルールの裏を掻いたりバグを夢中で探したり、
そういった経験がなくただ見えている、分かっているルールの中だけで
満足して終わっていては「ルール」の大事さに気付けないんじゃないか。

だから俺はゲームをするなら是非、熱中して欲しいのである。
とことん考え抜く事でルールを徹底的に解剖して理解する。
その上で自分流に楽しむ事が出来るようになってこそが、
真のゲームクリアなのだ。おお、俺今いい事言ったぞ。いい事言った。

そう考えると、TRPGって凄くない?


そういえばTRPGというジャンルのゲームがあるのを御存知だろうか。
正式にはテーブルトークRPGと言うゲームだ。

wikipedia先生はこうおっしゃっている。

テーブルトークRPGは、ゲーム機などのコンピュータを使わずに、紙や鉛筆、サイコロなどの道具を用いて、人間同士の会話とルールブックに記載されたルールに従って遊ぶ“対話型”のロールプレイングゲームRPG)を指す言葉である。

つまりはテレビゲームではなく会話で楽しむアナログのRPGという事。

ゲームマスターと呼ばれる人が事前にシナリオや敵キャラ等を考案し、
ゲームに参加したプレイヤーはゲームマスターから状況等を聞かされ、
クリアに向けて皆で会話を繰り広げながら進んでいく、
なんだかオタクなのだかリア充なのだか分からないゲームだ。


俺も大分昔にやった事があるのだが、これは今改めて考えると
ゲームとして非常に優秀な要素を備えているゲームだと思う。

まずプレイする側の自由度が高い。基本的に何をしてもオッケー。
通常のテレビゲーム等と違って選択肢に縛られないプレイが出来る。
想像力を発揮させ、用意されたシナリオをいとも簡単に覆して
あっさりクリアするような事さえ可能なのだ。

またゲームマスターもゲームを構築する側として想像力を発揮させる。
勿論ガイドブックの大枠のルールに沿って設定するのだけれども、
それでも自由度が高いので設定をかなり好きにカスタマイズできる。

それにプレイヤーの行動もある程度想定して設定を練らなければならず、
ゲームを作る側として高度なセンスを求められる。
自分が作ったシナリオを簡単に攻略されては困るからだ。


俺は以前TRPG内でいきなり旅先の村長を怪しんで攻撃するという
暴挙に出た事があったが、そこはなんとゲームマスター
想定の範囲内だったらしくうまく設定された内容で封じ込められた。
結果的にその村長は悪者だったのだが、看破できなかったのだ。
つーか俺の性格バレてんじゃん。あとそのゲームマスターは東大に行った。

ルールを作る方もそれに沿って遊ぶ方も想像力を十分に発揮できる点で
まさにTRPGはゲームの醍醐味を存分に味わえるゲームだと言える。
デジタルゲームでもこんな感覚になれるゲームが増えればいいなと思う。

だからこそ、「ゲームで学ぶ」を大事に。


どんなゲームでもそれを楽しいものにするために、
皆が頭を捻ってゲームのルールをデザインしているのだ。
だから大人も子供も、おねーさんも、そんなゲームを遊ぶ事を通して、
「ルールを作るという事は楽しい事なんだ」という事を学んでほしい。

ゲームは楽しいものである。ゲームはルールに沿って楽しむ。
つまりゲームはルールがあるから楽しいのだとも言える。

そう、世の中に存在するルールというのはどれもきっと究極的には
生活を楽しく豊かにさせるために存在するはずである。


今や世界で後れを取っている日本の産業の敗因の多くは、
市場のルール、ゲームのルールそのものが変わっているのに気付かず
日本独自のルールが世界に通じると思って突き進んだ事だと言われる。

例えば、かつては高機能こそが評価された電子製品・家電製品業界も
デザインやユーザビリティが評価されやすいルールへと変わった。
にも拘わらず既存のルールに捉われすぎた日本製品は海外で負けた。


かつてゲームは馬鹿になると教えられ詰め込み教育を施され、
勤勉な人間ばかりが育った日本はルールへの理解度が足りなかった。
ルールというのは逆手に取るものであったり更新するものだったのだ。

「ゲームなんかしてないで学校の勉強だけしてなさい」
きっとそれだけではこの先、世の中に存在するルールを疑う事もせずに
ただルールに翻弄され、右往左往するばかりの人生になるだろう。

ゲームを、それも本気でゲームに向き合うという経験こそが
人生を楽しく感じさせてくれるんじゃないかと考える。

だってほら、人生もゲームだからね(ドヤァ)


DARK SOULS TRPG
加藤ヒロノリ/グループSNE 末弥 純
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