脱R論

一般人の一般人による一般人のためのゆるくテキトーな音楽ブログ。ロックから脱却出来るその日まで音楽ネタを中心に書き綴ります。

【Song】ゆず / ガイコクジンノトモダチ [2018]


政治アレルギーチェッカー。


うははは、ゆずさんパネェっす。
まさかゆずさんの曲がこんな形で注目される事になろうとは。

少し前、ゆずの新曲が炎上するという
これまでのゆずのパブリックイメージからは考えられない珍事が発生。
いやいや、ゆずが炎上とかパラレルワールドの出来事みたいで笑える。


どーせまたしょーもない事に誰かが反応しただけでしょと思ってた。
そもそも俺は普段からゆずを聴いていないので
この件自体をさほど気にはしてなかったんだけど、
改めて問題の曲を聴いてみたところ「あーコレは炎上しますわ」

うははは。ゆずさんパネェっす。

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数年前からバラエティ等でもムーブメントになっている
「日本って実は良い国なんだよ!」っぽい曲なんだけど、
フレーズのチョイスがかなり切り込んでいるのが凄かった。

この国で泣いて笑い怒り喜ぶ
なのに国歌はこっそり唄わなくちゃね
美しい日本チャチャチャ

とか

TVじゃ深刻そうに右だの左だのって
だけど君と見た靖国の桜はキレイでいた

とか

この国で生まれ育ち愛し生きる
なのにどうして胸を張っちゃいけないのか?

 

この辺りの歌詞が単なる昨今の日本礼讃ブームとは一味違うのね。
こういう曲をメジャーアーティストがぶっこんでくるのは興味深い。


例えば前回のサッカーワールドカップの時に
「日本頑張れ」という応援ソング『NIPPON』を歌った椎名林檎
左翼系メディアからやたら叩かれていた。



で、この曲に関してはフッツーにカッコイイ応援ソングだし、
そんな政治的な曲扱いを受ける程でもない曲だと思った。
まぁそういう見方をする人もいるんでしょうね、はいはい的な感じ。

でも今回の『ガイコクジンノトモダチ』に関しては「靖国」みたいな
明らかに一部の人がセンシティブになるワードが直接入っているので
椎名林檎の『NIPPON』以上に政治的な曲の度合いが色濃いと思う。


で、こういう曲って俺は「試されソング」だと思うんだよね。

つまりこんな曲に対して俺らがどういう反応を示すのか、
ゆずはそれを俺達に対して試しているとも言えるわけだ。
政治ソングアレルギーチェッカーとでも言うべきかな。
ちゃんとこういう曲も聴けますか?みたいなある種の試練なのである。


今回のゆずの曲については左翼系メディアが反応したけど、
それと対極的だったのはサザンの『ピースとハイライト』だろう。



この曲に関しては右翼系メディアというよりはどちらかというと
ネット右翼がやたら反応していた記憶がある。

この『ピースとハイライト』が歌っている内容は、
結局は「お互いの国が仲良くなれたら良いね」という
ゆずに比べればまだマイルドな表現に落ち着いている曲だ。
(ただ個人的にはその凡庸さ故にイマイチ好きではない曲だけど)

しかし当時この曲に関しては「は?仲良くなれるわけないし」
みたいなアレルギー反応をネットで示す人が多数出現していた。
だからまずその姿勢がどうなのっていう問題提起の曲なんだけどね。


だからこれらの曲に過度に反応してしまわないかという事を
俺らは試されているのだ。いわばアーティストからの挑戦状でもある。

で正直なところ、俺は『NIPPON』は全然大丈夫だし好きな曲だけど
この『ガイコクジンノトモダチ』には少し面喰らいました…
歌っている内容に特に異議はないけれど、それでも今これを歌うか?

ちなみに『ピースとハイライト』はベタすぎてピンとこなかったです。


ちょっと本筋からは離れるけど、
そもそも俺は日本における「左翼」と「右翼」の定義が変だと思ってて
元来の意味であれば左翼は「革新勢力」で右翼が「保守勢力」だ。
だが日本はそんな切り口で「左翼」と「右翼」で分ける事が出来ない。

例えば安倍政権は良く右翼系だと言われているけど、
憲法改正やTPPを進める姿勢は果たして右翼的なのかというと疑問。
特にTPPなんざ「TPPに参加すると日本の産業が潰れる!反対!」
と言っている方がよっぽど保守的で右翼っぽいと言えるわけで。

そもそも自民党の構造自体が右派から左派までをある程度カバーする
間口の広い政党であるが故、他の政党はどこかに振り切らないと
なかなか自民党と差別化できないというのが現状であり、
結局のところ「右翼」だの「左翼」だのというカテゴライズは
特に現在においてはあまり意味をなさない議論になっていると思われる。


おっと、いつになく真面目な話になったが
つまりはアーティストだって単純に「左翼」や「右翼」に
分断できる話ではないという話ね。

ただ、そうはいっても対立構造にした方が分かりやすいし
何でもエンタメ化したがる人間の性みたいなものも手伝って、
こういった政治を匂わせる曲というのはアーティストの意思とは別に
「左翼」か「右翼」のどちらかの攻撃対象になってしまいがちではある。


そういえばここ数年は「音楽に政治を持ち込むな」
「いやいや昔は音楽に政治を持ち込むのは当たり前だった」
みたいな議論をチラホラ見かけるようになったな。

この点に関しては世代による認識の差が大きい気がするが、
俺は「”音楽”じゃなく”言論”になるようなら持ち込むな」と思う派だ。
だって自分の意見を文章にしたいだけならツイッターでもやればいい。
それを音楽に歌詞として載せて曲にしたいというのであれば、
曲にする意味や背景、狙いが無ければコンテンツとして成立しない。

もっともこれは政治ソングに限らずの話なんだけど。
だから説教くさい自己啓発ソングみたいなのも「書籍でやれ」と
心の中でツッコんでいる。やっぱり曲にする以上は、
それをただ文章で読むときとは違う価値が有って欲しい。


とまぁいつものように脱線しまくっちゃったけど
じゃあ今回の『ガイコクジンノトモダチ』については結局どう思うか。

まぁまぁって感じだった。今の日本の状況からすれば
「やや右」と言われる曲だとは思ったんだけど問題はそこじゃなく、
やっぱり音楽としてもう少しなんか一捻り欲しかった。

勿論、行き場の無いちょっと寂しい気持ちを、
ゆずらしい軽快な曲に乗せ「チャチャチャ」という言葉で締めるのは
遊びの要素も入ってて全然悪くないんだけど…。
この曲を今敢えて歌う理由とか曲の雰囲気とかなんかしっくりこない。

あ、でも多分それはそもそも俺がゆずを普段聴いていないわけで、
この曲に対してというかゆずの曲全体にそう思っているだけかも。
まぁつまりは最終的に他のゆずの曲と同じような感想って事だな…w


でも今回の炎上みたいに「曲で問題提起をする」というのも
またアーティストの役割ではあるんだろうなとは感じた。

アートとは「問題解決」ではなく「問題提起」だと言われる。
「そんな偉そうな事言うんだったらじゃあ解決策出せよ!」
みたいに思われそうだが、そういうのは永田町とか霞が関のお仕事。
ただ問題提起して議論を巻き起こすだけでもアートに価値はある。

そう考えた場合、ゆずも本当に立派な「アーティスト」だった。
今更だろうけどそういう気付きを得たのもこの件の収穫なのかな。


【採点】
・あのゆずが炎上    30点
・政治的ソングの宿命  30点
・俺らは試されている   5点
・俺は自称リベラル    1点
66点

BIG YELL (通常盤) BIG YELL (通常盤)
ゆず

曲名リスト
1. 聞こエール
2. TETOTE (YZ ver.)
3. イコール
4. 愛こそ
5. カナリア
6. タッタ (Album ver.)
7. 日常
8. 恋、弾けました。
9. 通りゃんせ
10. 風のイタズラ
11. ガイコクジンノトモダチ
12. 存在の証明
13. うたエール

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