脱R論

一般人の一般人による一般人のためのゆるくテキトーな音楽ブログ。ロックから脱却出来るその日まで音楽ネタを中心に書き綴ります。

【Album】GEZAN / 狂(KLUE) [2020]


お気に入りのプレイリストを死守せよ。


うーん困った。

非常に困った。


やっぱりこのアルバムについてはいつか書きたいと思ってたんだけど…


うーんやっぱり困った。

何が困ったって、、、

このアルバム下手にいじっちゃいけない只ならぬ雰囲気があるんですよ。。。

ガチなレビューとかが得意な人は触れても大丈夫なんだけどさ、
俺みたいなへらへらした奴がいつものノリとテンションでやっちゃうと
バチがあたりそうで嫌なんですよ。だから正直あまり関わりたくなかった。


でもね、やっぱり今、このタイミングでもう一度振り返っておこう。

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この前昨年良かったアルバムとして羊文学の『POWERS』を取り上げたんだけど、
このGEZANの『KLUE』も負けず劣らずトップクラスに凄いアルバムだった。

個人的な好みとしては『POWERS』の方が上なんだけと、
語り継がれる”名盤”としての風格で言えばおそらくこの『KLUE』に軍配が上がる。
というかここ数年の作品の中での名盤度合いで言えば間違いなく最強格である。


昨年色んなところで「凄いアルバムが出たぞ」と話題になっていた作品だったので、
野次ウマ息子プリティダービー常連の俺も負けじと聴いたんだけど…

正直一聴した最初の感想は「怖い…」だった。

それはデスコアのようなものに感じる分かりやすい怖さではなく
得体のしれないものに対する怖さ。じわじわと迫りくる不思議な怖さだった。

しかし何度も聴いているうちに皆が絶賛している理由も分かった。
ああ、これはヤバいな。深入りすると下手すりゃ他の音楽聴けなくなるな、と。


そう思った俺はこのアルバムを聴いた後には
豆柴の大群を聴いて気分を中和させるように努めていた。

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さて、このアルバムのテーマには一つの軸として「東京」がある。

「東京」とは往々にして音楽の題材になりやすい事柄である。
これまでも沢山のアーティストが「東京」について歌ってきた。


しかしここで少し考えて欲しい。東京と聞いて思い浮かべる数々の曲を。
どれもこれもが東京に対してどこかネガティブな要素があるのではないだろうか。
東京と言う街は闇を抱えている。邦楽が描いてきた東京はいつもそうだったのだ。

ただグッと時代を遡ればそうとも言えない。
『東京音頭』だったり戦後でも美空ひばりの『東京キッド』なども
東京をポジティブに感じる事が出来る歌だ。


だが今我々がイメージする東京の歌はこういっちゃあアレだが
碌なイメージの物がない。それくらい現代の東京という街は闇を抱えていると言える。

しかしこれがどうだろう。地方ソングになると途端にポジティブな曲ばかりになる。
ご当地ソングなんてどこも「○○はいいトコすてきな場所」のオンパレードだ。
俺は今は佐賀にいるんだけど仮に佐賀をディスるような歌を出したなら
間違いなく地元民から県八分で二度と佐賀の土地を踏めなくなるだろう。

佐賀をディスっていいのは佐賀が誇る芸人のはなわくらいのもんである。

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これはどういうことか。

単純に強きもの・大きいものは叩かれやすい、叩いても大丈夫だからとか
そんな理由だろうか。確かに有名人とかも明らかに一般人に比べて叩かれるからな。


だが地方民の俺からすると東京は叩けない。
何故なら我々は東京の恩恵にあずかっている地方民だからである。

全国に存在する自治体の中で地方交付税を受け取る側の自治体は確か95%くらいで、
ほとんどの街はうまく経済を回す事ができている残り5%の街から貰っている側という
状態なのである。都道府県単位では東京のみが交付税なしで運営している。
だから地方民はとことん東京に逆らえない構図となっているのだ。

おっとそんな経済の話に脱線してしている場合ではない。
まぁ何が言いたいかと言うと地方民の俺から東京は正直凄いと思う事が多いのだ。


しかし上述の通り東京という街は音楽においてはネガティブに捉えられがちである。
実は昔からその辺りの認識のギャップが気になってはいた。
きっと現地に住んでいる人だと何か感じ取れる負の感情があるのだろうか。

まぁでも実は生まれが関東人である俺だ。なんとなく想像できる事もある。
それは、東京と言う街には
華やかな発展の裏側に犠牲になっているものが沢山あるのと
ネガティブな表現をする人も受け入れられる王者の余裕がある
のではないかと言う事だ。

この辺りが日本においては東京と言う街の特殊性を紐解くヒントなのではないだろうか。


さて、地方民が想像する東京の姿というものを少しお話させていただいたが、
結局のところ一貫しているイメージとしては「東京が孕んでいる見えない問題」が
多分あるんだろうなという事くらいである。それが東京独自のものかは分からないが、
少なくともテレビで良く観ている東京の姿とは別の隠された何かがあるんだろうな。


このGEZANのアルバムの軸となっている曲、ズバリその名も『東京』である。

どうやらこのアルバムはこの曲をスタートラインとして作られているようだ。



最初聴いた時にはU2の『Where The Streets Have No Name』がよぎった。
というか非常に似た感覚を覚える。U2もまた社会に対する慟哭を歌うバンドなので
そういった姿勢もGEZANのスタイルにリンクしていく。

あとこの赤い風船のサムネ見ると同じく去年話題になったIdlesのアルバム思い出すな。


ちなみにIdlesも結構おすすめなんで、強引な流れだけど聴いてみて下さい。


しかし聴けば聴くほど不思議な曲だよこの『東京』は。

何かを語るようなボーカルはラップのようででもラップとも言えない。
90年代発祥のオルタナティブロックのようででも新しくてドープである。
エレカシの『ガストロンジャー』のようでありでもそれよりも生々しい感じがする。

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そして俺はこの『東京』は今後も名曲として語り継がれていく曲だろうと確信した。

ここで感じるのはリアルな声だった。

東京という街が内包する「虚構」に対するアンチテーゼ。
GEZANはその中で只々「リアル」な人間らしさを求めている。
間違っているかもしれないけどまぁたぶんそんなとこだよね。うん。


『東京』の歌い出し。

東京
今から歌うのはそう
政治の歌じゃない


曲の最初っから予防線張ってくるやん!!

とか思うなかれ。
彼らはこれは単なる政治の歌みたいなそんなスケールの音楽ではないと言っている。

ここからは歌詞をいちいち切り出していくとキリがないくらいに
もう十分にポリティカルな歌である。ずらずらと色んな思いが綴られている。
が、しかしそれでも彼らはこの曲を他にもこの世に無数に存在する
政治の歌たちとは同じようなものとは思って欲しくないのだろう。

俺にはそれくらい彼らが急かしているように思えたんだよ。

オリンピックがあっても何も進歩しない東京という街に、
何年たっても生まれ変わる事ができなかったこの社会に。

想像してよ東京
この街に価値はないよ
命に用があるの


この部分、特に俺は悲痛な叫びに聴こえた。

単なる革命ソングではなく救いを求める叫びのような気持ちが込められている。
ここがとても現代的だなと思った。歌っている本人たちもとても苦悩している
それが伝わってくるが故に高い共感性を持って迫ってくるのである。

だから声はデスボイス気味でハードなサウンドがかき鳴らされているのに
優しさすら感じさせる。とんでもない技術である。敢えて言わせてもらうと
これは新手のポップミュージックだ。サウンドだけで判断してはいけない。


このアルバムは『東京』という曲を中心に作られたと説明したが、
それゆえに非常にコンセプチュアルな作りになっている。

まずアルバムを通してBPMが100に統一されているそうだ。
これは『東京』をベースに他の曲を作ったかららしい。
だからアルバムが想像以上に聴きやすい。これがまず凄い。

こんな音楽性なのになんでここまでスーッと聴けるんだろう。
本当にあっという間にアルバムが終わる。
普通のフルアルバムと同程度の収録時間なのに不思議なくらい時が早く流れる。

それくらいにこの作品はコンセプトアルバムとしての完成度が高いのだ。
洋楽ならこういう感覚も珍しくないが邦楽でこの感覚を味わえる事は滅多にない。


そして『東京』がメインと言ったが他の曲も聞き流してはならない。

1曲目の語りのような曲『狂』では、まず彼らは自分たちの音楽を

シティポップが象徴してたポカポカした幻想に
いまだに酔っていたい気にはオススメできない

などと突き放してくる。
シティポップに酔っていた人は目を覚ませというわけだ。


…すみませんでした。


まあオススメできないという話なんだから
仮にそうだったとしても聴いてもいいんっだよね??
とお伺いをたてながらこのアルバムを聴き始める事になる。


しかし聴き進めていくうちに『訓告』では

レヴェル・ミュージック以外の音楽をプレイリストから消去せよ

と警告される。


ガチじゃん


REVELMUSIC、つまり反抗の歌。プロテストソングのような音楽以外はもう聴くなと。
ラブソングとかパーティソングとか聴いて浮足立ってんじゃねーぞお前らという事。
やばすぎる。俺らを本気で洗脳しようとしてるぞGEZAN。

おそらくこのアルバムも何度も聴いているうちに禁断症状が出たリスナーの中には
分かりましたぁーー!!消しまぁぁぁぁす!!ぽちっ!!」などと高らかに叫び
よだれを垂らし白目剥きながらNiziuとか消しちゃった方もいるんじゃなかろうか。
ああ…かわいそうに…ミイヒちゃんカワイイやん…


だがそれくらいにGEZANは本気だ。

人類補完計画かニュータイプの覚醒か、
とにかく人々に一刻も早い変化を求めている気がする。


さらにこのアルバムは文明が発展し過ぎる事への警鐘も鳴らしているかのようだ。
勿論、現代文明へのアンチテーゼをテーマとした作品は世の中には既に溢れている。
がしかし、このアルバムは本気度が違う。前述の彼らの言動を知れば分かるだろう。

技術は間違いなく生活を豊かにするし俺もそう信じている。
だがGEZANが見ている未来はどうやらそれとは違うらしい。
自分たちを信じろ、今こそ目覚めろ、生ぬるい音楽を聴いてる場合じゃないと。

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思えばこのアルバムは非常にリアリティが高いように感じた。
それは何だったのかというと全体的に音楽が日常の生活音に溶け込むような
とても血の通った音楽に聴こえたからだ。無機質な音ではない。生々しい音と声。

これもつまりはテクノロジーへの対抗心と言える。

テクノロジーが次々と色んなものを置き換えていく。人間らしさとは何なのか。
残っていくものは何か。でもGEZANの音だけは、俺たちの音楽だけは
ぜっっっっっったいに負けないからな!!という強い意志に基づく音だ。

だからアルバムを通して聴きやすくてあっという間に感じるのだ。
人間の汗のように染み込んでいく作品。これは確かにコンピュータでは生み出せない。


こういった流れでGEZANは人々に東京の、この社会の、人間世界の危うさを説く。

『東京』は確かに東京の歌だった。でもそれは人類全体の歌でもあった。

日本の地方都市も東京化していくのが現代の理である。
メディアが発達し日本のどこにいても同じ商品が同じように受け取れる今の時代は
東京を中心に均一化されそしてやがて東京と同じ病に侵されていく。

こうして世界もやがては皆が同じような方向を向いて歩いていく。
それが幸せへと続く道ならば良いが、一体誰がそこまで正しく導いてくれるだろうか。


『赤曜日』の中でGEZANは歌っている。



神さまを殺せ
権力を殺せ
組織を殺せ

GEZANを殺せ



お、おぅ…。


これはあらゆるものを殺し人々に自由と開放を与えた後で、
役目を終えたGEZANを殺せという事なのだろうか…。



かつてハードコアバンドのスターリンは『ロマンチスト』の中で
世の中のあらゆるものに吐き気を催し全方位を相手に喧嘩を売った。

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だがそれをロマンチックだと称する自分自身もまた実は同じ穴の狢なんだという
メタ的な視点もあの曲にはあったと俺は思っている。(とても好きな曲です。)


GEZANは破滅的な願いを持ったバンドなんだろうか。
革命を起こしあらゆるものを倒し自らも否定して欲しいと願うのか。

ただ分かるのはこのアルバムからはGEZANの並々ならぬ意思を感じるという事だ。





確かに過激なアルバムだった。

だけどなんだろう、今の時代に生み出されたこの一枚には
ただ”過激”というだけでは片づけられない意味があるようにも思える。


はっぴいえんどは『風街ろまん』で変わりゆく東京の街を観ながら
1964年の東京オリンピックが始まる前の東京に想いを馳せていた。

GEZANは五輪が終わった今の「東京」に何を求めているのだろうか。
前回の五輪から変わりすぎた東京の街。その間には東京を憂う曲が沢山生み出され、
それを聴く度に今まで歩んできた道が間違っていなかったのかと問われてきた。


多分誰もそこに間違いが一つも無かったとは言えないだろうし、
これからも間違いが起きないなんて事も誰にも言えないだろう。

でもやっぱり俺は人間の力ってヤツを信じたい。
人間は愚かな生き物かもしれないし間違う事もあるけれど、
それでも素晴らしい叡智を持って素敵な世の中を作り上げる事が出来ると信じたい。


アルバム最後の曲『I』。

東京 信じてる

(中略)

恥ずかしいこの歌が
いつか歌えなくなるようなボクらになったら
お願いだよ 殺して
ちゃんと笑えるだろう
ちゃんと笑うんだよ
そのために生まれてきたんだもの


どうやらGEZANも今の世の中に絶望まではしていないようだ。


東京はその背景からしてもきっと普通じゃいられない街なのだろう。

いろんな意味で人々を狂わせることができるし楽しませもしてくれる。
それは元々人間が持っていた色々な性質が東京という加速装置によって
より大げさな形で現れる仕組みになったからなんだなと思った。

数多の東京ソングはそういった装置の犠牲者への哀悼の歌であり
都会で傷ついた人たちへの癒しの歌であったのだ。
そして勿論、楽しい東京ソングも生まれている。
だからこの先も東京が続く限りまた次の東京ソングが生まれていくのだろう。


GEZANは元々は大阪のバンドだが現在は東京に拠点を移したバンドだ。
そこで東京で味わった様々な想いがきっとこのアルバムに詰まっているのだろう。

なるほど、ならば俺も東京にいけばなんかよーわからんけどいろいろ感じて
こんな作品を生み出せるかもしれないな。うん。

なんて妄想が捗る。

そしたらバンド名は「JYOKYO」とかにしよっかな。


【採点】
・マジでガチの東京ソング  40点
・マニア志向でも聴きやすい 40点
・でも人間を信じたい     5点
・地方ソングも頑張れ    -1点
84点