脱R論

一般人の一般人による一般人のためのゆるくテキトーな音楽ブログ。ロックから脱却出来るその日まで音楽ネタを中心に書き綴ります。

【Album】Ado / 狂言 [2022]


顔面の価値、ストップ安。


Facebook社が「Meta」に改名したというニュースは記憶に新しい。

確かにFacebookってそもそもSNSの名前だし(あと最近伸び悩んでいるらしいし)それをずっと会社名にしておくのもどうかって話だったんだろう。
それはそうとして今後Metaは仮想現実であるメタバースに注力していくそうな。これからの時代、人間はアバターを通して仮想空間で生活する未来が待っているらしい。

一応技術屋としての顔も持つ俺としては面白そうな未来だと思うんだけど、正直メタバースがそんなに一般的になるのかという点については懐疑的。ブロックチェーンは間違いなく凄い革新的技術なんだけど、メタバースに関しては今のところ面白いけど面白いを超えた革新性をあまり感じないんだよなー。Metaは今後どういう展開をしていくのだろうか。

しかし、今後多くの人が「顔を出さない」事が当たり前になっていくのは間違いない。というかむしろ「そもそもなぜ顔を出す必要があるのか」という感覚がスタンダードになっていくだろう。俺も基本在宅事業なので、顔も知らない方とやり取りする事ばかりだしそれで全く問題ない。いい時代だ。イケメンの価値が相対的に下がっていく。いい時代だ。イケメンのインセンティブを徹底的に排除しろ。


さて、ネットの世界では昔っから顔を見せない事なんて別に普通だったわけだが、それを世間に強烈に印象付けたアーティストが間違いなく彼女、Adoちゃんだろう。勿論これまでも顔出ししないアーティストは沢山いたが、流行語大賞TOP10に入るレベルで認知された彼女が世の中に与えたインパクトはやはり相当なものだ。

そう、仮想空間だったりVtuberだったりとにかく顔出ししない事は現代のトレンドなのだ。MVにも本人が出演しない事なんて当たり前。これからはテレビとかでも顔出ししない東大生がクイズする番組が流行るに決まっている。


そして、昨年世間を騒がせたあのAdoが、1stアルバムをリリースした。
その名も『狂言』である。

いいタイトルだねぇ、『狂言』って。この歪まくった社会で人々はみな狂言さながら生きている。あなたもわたしもそうだ。否定できないでしょう?だってAdoさんがそうおっしゃっているんだ。全ては狂言。悲しい事も辛い事もいとおかし。みんな虚構の中で虚業を営みながら笑え。そんな強烈なタイトルとジャケットだ。


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俺もいい年した自称うるさいロックおじさんなんだけど、なんだかんだでこの一年はAdoの曲は発表されるた度にずっと追っていたんだよ。「若い人の話題に入りたいおっさんキモ」と言われてもいい。俺はAdoの事が気になって仕方が無かったんだ。なんなら一時期LINEのアイコンをAdo風にしてたんだけど、あれはさすがにLINEグループに入っている周りの保護者の方々からどう思われてるか怖かったんでさすがに変えた。


だがそれなりにAdoを追っていた俺からすれば、アルバムの一発目が2ndシングル曲のこの『レディメイド』なのがとても好きだ。まず安易に『うっせぇわ』にしないところ、そしてアルバム冒頭でAdoというミステリアスな存在をアピールするのにも、妖艶で怪しげな曲調でかつ攻撃力が高い『レディメイド』を配置するのは実にコレクトネス!


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そして2曲目は半端ならK.O.されちゃう『踊』。これも非常にパンチ力がある曲だ。緻密に構成された多国籍風の音楽に、芯の通ったAdoのボーカルが良い具合に絡み合った個人的にも好きな曲。Adoの音楽を良く知らなかった人も、この鮮やかな冒頭2曲のワン・ツーによりしっかりK.O.されるだろう。

この勢いのまま『ドメスティックでバイオレンス』『FREEDOM』と続くのだが、この時点でとにかくAdoのボーカルの強さが存分に伝わってくる。俺もAdoの最大の魅力は声と思っているので、この打ち出し方には特に違和感はない。またこういったアルバム曲も丁寧に作られているので、正直アルバムまでは聴くほどではないかなと思っている人もとりあえず一聴してみると新たな発見があるかもしれんぞ。


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とここまで、アグレッシブに展開してきたアルバムだが、中盤の『花火』『会いたくて』辺りで少ししんみりする曲が続く。そしてここが非常に好みが分かれる部分だろう。実際にこれらの曲が公開されたときも「あれ?Adoって変わった?」という反応も多かった。

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そう、そうなのだ。俺も正直に言えばこの路線は好みじゃない

曲そのものは悪いってわけじゃないし、Adoちゃん本人もこういう曲だって歌ってみたいと思ったのかもしれない。
ただなぁ、やっぱこういう曲を聴くならAdoじゃなくていいってとこが大きいんだよなぁ~。

そりゃAdoも『うっせぇわ』でべっとりついてしまった自分へのイメージに抵抗したかったという一面もあるだろうが、にしてもあまりにもギャップがありゃしないか…??仮に落ち着いた曲をやるとしても、もっと別のアプローチは無かったのかと思ってしまうわけで。残念だが俺はこの辺りはあまり支持できないのです。


ただ消費カロリーが高い曲の連続ばかりだと、高血圧の方だと血管がブチ切れてただでさえ逼迫している病床の状況をさらに悪化させかねないので、アルバムの中に敢えて落ち着いたセクションを設ける事で社会的な配慮をしたという事だろうか。さすが最近のネット世代は賢く炎上を避ける術を知っているようだ。

ただそんなAdoちゃんもアルバムの特典のフィギュアだけは炎上が避けられなかったみたいだ。あれはAdoちゃん自身のせいではないだろうけど。別にこの件については俺は被害者じゃないし深くは書かないけど、詳しい事が知りたい方は各々調べてください。


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そんなアルバムも後半にかけてまた徐々に盛り上がっていく事になる。

好きになれない部分もあるとは言ったが、曲単体は粒ぞろいの曲が多く(半数以上がシングル扱いの曲)、アルバムの感覚としては1stといいつつもうベストアルバムのような感触に近い。この一年、怒涛のように曲を出し続けてきたAdoの集大成って感じだ。


ただYOASOBIの時も言及したが、やっぱりもう彼女みたいなネットで定期的に曲をアップしているアーティストが”アルバムを出す必要性”ってのはなんだろうなとも思っちゃうんだよね…。待っているファンのためなのかはたまたレコード会社のビジネスなのか。

アルバムの意味が薄れている現代においてアルバムを出すからには、うるさいロックおじさんからするとその辺りの意味の肉付けが欲しいなと思う事はアルバムを通して聴いてて感じるところだった。

と言いつつ、ボリュームもちょうど良い感じだし若い世代が「アルバムを聴く」という行為を忘れないためにも、こうやって人気アーティストのアルバムが出るというのはそれだけでも意味があるのかなと思ったりもする。結局どっちなんだよ俺。



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『阿修羅ちゃん』はポップでノリノリな曲ながらAdo節もバッチリ効いており、やっぱりこういう曲こそが似合うなーと思わせてくれるナイスな曲だ。
いかにもボカロらしい文脈に乗った曲なんだけど、なんというかAdoの強力なボーカルによってうまい具合に「Adoの曲」に落とし込めているところがポイントだ。


そう、このアルバムを聴いて俺が強く感じたのはボカロ音楽がAdoという存在を通して大衆に開かれた音楽として提示されているという事実だ。

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もうこの『心という名の不可解』なども、聴く人が聴けばきっとすぐ「まふまふっぽいなー」と分かってしまう曲である。

このように、このアルバムに置いてAdoという存在は冷たい言い方をすればボーカロイドのようなポジション。全ての曲が異なるクリエイターによるものであり、Adoのアルバムと言いつつ別の切り口で言えば、Adoというボーカロイドを迎えて人気P達が曲を作ったオムニバスという見方も出来る。

だからボカロP毎に曲を聴いているボカロ界隈のファンの方向を向いているアルバムとも捉えられる。

だが、アルバムは全面的にAdoのボーカルがぐいぐい主張してくる作りでそこが絶妙なバランスになっている。人気Pの作品集という面を持ちつつ、ボカロではない声、Adoのボーカルの力によって、ボカロ文化発の音楽がマスにもリーチできる作品となっているのだ。


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大ヒットした『うっせぇわ』はアルバムの終盤に登場する。ボカロ文化に慣れていない人たちからすればなんじゃこりゃという曲だっただろう。得体のしれないジャンルとして映ったかもしれない。

でもこの曲だけではなく色々聴けるアルバムになっているので折角なんで聴いてみてはどうだろうか。実際にアルバムはチャート一位を獲得しなかなかの勢いで売れているらしい。でもなんとなく結局は若者の間だけで聴かれているだけのような気もしている。

でも前述した通りこのアルバムは単なるボカロ作品で片づけられない魅力がある。もっと広い層にバイアスなしで向き合って欲しい出来に仕上がっている一枚だ。


そして一部ではもう既に「宇多田以来」みたいな支持を集めているとか。

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これを見て「んなわきゃねーだろwww」みたいに笑い飛ばす大人もいるでしょ??
うん。まーかくいう俺もさすがに宇多田以来は言いすぎだろと思いますハイ。


ただ、若い世代が彼女の曲に熱中する理由も分かるんだよ。
俺、このアルバムを聴いてて思った。俺も若かったら絶対ハマってただろうな、と。

それくらいにこのアルバムに収録されている曲にはみんなパワーがある。純粋に音楽って良い!と感じられる要素が詰まっている。それは流行りだからどうとかではない、もっと本質的で、誰もが皆若い時に一度はどこかで音楽に対して感じるであろうキラキラした魅力だ。

そりゃあ俺だってAdoちゃんの素顔も気になるよ。でもそれ以上に彼女には皆を惹きつける何かがある。アルバムを通して聴くときっとみんな彼女の事が気になりダンス。

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ちなみに俺個人はボカロをニコニコの黎明期に聴いていた人間で、その後2010年代に入ってからはあまり聴かなくなっていた。

以前その理由をだらだら書いた事もあったが、早い話がもともとボカロは初音ミクといったそのキャラクター性を帯びた楽曲が人気で、人間が歌うのではなくボカロが歌う事に意味があったのに、それが徐々に人の代わりに歌ってくれるツール的側面(それが本来なんだけど…)が強くなってきて、やっぱりボカロって作曲ソフトじゃんという白けた空気になったみたいな感じだ。


それに正直な話、ボカロってずっと音楽的には停滞していたジャンルだったと思っている。

勿論、環境や小手先のテクニックってのは変わっているんだけど、”ボカロっぽい音楽”ってのがやっぱり皆の中に無意識的なジャンルとして昔からあって、その音楽は界隈の中でばかり持て囃されて進化はしてなかったんだよね。まるで演歌みたいにさ。


でもその方向性も新たな生身のボーカロイド的存在、Adoの登場によって次のステージに向けて開花しようとしている。かなり大げさな物言いになったが、事実、面白い現象が起こっているのは間違いない。この熱が仮に「狂言」みたいなものだったとしても。


そんな世の中の「狂言」を尻目にこれらかもAdoは歌い続けるのか。
そしてまたAdo自身も決められた演目を歌う「狂言の演者」であり続けるのか。

少なくとも俺が願う事は、より多くの人間が偏見なくこのアルバムを聴き、そして顔面に対する価値が暴落していく事である。

顔なんて飾りです。偉い人にはそれが分からんのです。


【採点】
・顔出ししないトレンド  30点
・実質人気Pオムニバス  30点
・食わず嫌いも聴いてみろ 20点
・水ダウで偽Adoが顔出し -5点
75点

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