脱R論

一般人の一般人による一般人のためのゆるくテキトーな音楽ブログ。ロックから脱却出来るその日まで音楽ネタを中心に書き綴ります。

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インターネット時代のロックを考える


Net Killed The Rock Star?


6月9日は世間的にはロックの日だそうですよ。

世間的にはといいつつも、6と9でロックだなんて
完全に日本語のダジャレなので国内限定の話なんだろうけど。

でもロッキングオンのサイトRO69も今日リニューアルしたらしいしさ、
日本人なら今日は素直にロックでも聴こうぜ!

という事で、ホネホネロックとかどうかな。


さて、「ロックってなんだ?」みたいな中二な疑問を
日頃から自問自答して無駄に脳味噌を酷使してる皆様におかれましては
今日なんて頭痛が鳴りやまないっみたいな状況かとお察し致します。

当然ロックの定義なんて捉え方次第でいくらでも量産できるのですが、
やはりそれは時代と共に変化するものでもあります。

故に旧時代のロックの定義を用いては
「もうロックは死んだ」と死亡認定したがる輩も後を絶たず、
新しい定義を持ち出しては「ロックが蘇った」
ネクロマンシーの如くロックを復活させる者もおります。

という事で世にロックのよもやま話は尽きる事が無く、
ロック愛好家としては頭痛の種も増える一方なわけだけど、
そんな頭痛を少しでも和らげるために今日は俺も考察してみたいのです。

「今の時代のロックの役割って何なんだろうか」

はい、大風呂敷です。答えなんて出来わけが無い。
無理すんな。頭痛なら素直にイブクイック飲んで寝とけ。

そんなドクターストップも振り切って、
今日はちょっと自分自身の中で整理をするためにも
少し論じてみようかな、なんて思うの。ほら俺、中二じゃん?

でもね、この疑問に関係するとても面白い話をちょっと前に読んだんよ。

www.gizmodo.jp


デヴィット・ボウイのこの話、すげーストンと腑に落ちたの。
俺の頭の中でうずまいていたモヤモヤPOINTが結構晴れた感じ。
なるほど、インターネットとロックか。
この両者の歴史と関係性って結構面白いかもしれないと思った。

というわけでどこで使えるかサッパリ分からない
有用性ゼロのロック論をロックな今日という日にロックに語っていこう。
さぁ、無駄に脳味噌を働かせようか。


ロック≒反骨精神


ロックの軸として往々にして語られるのは「反骨精神」だ。

社会・世間に対する反体制、メジャーに対するマイナー、
大人に対する若者といったルサンチマン精神がロックと良く言われる。

俺もその観点は大事だと思うけれども、もっと大きく捉えるならば
「既存の価値観のスクラップ&ビルド」と言えるだろう。
ロックに限らず、芸術とは常に既存の価値観との戦いでもある。

世の中の当たり前は最早当たり前ではないという事を訴える。
月並みな言葉だが「常識を疑う」というその姿勢こそが、
常に時代を変えながら現代まで時を進めてきたのである。


そして現代においてロック音楽は
そんな常識への疑問を投げかける役割を担ってきたジャンルだ。
人々の不満や不安を一手に引き受け発信する、そんなコンテンツ。

だからロックは、うまく世間に馴染めない(俺らみたいな)人々から
共感を集め支持される事で発展を遂げ、どうにもならない悔しさや
行き場のない感情をぶつける先としてその役割を果たしてきた。


とまぁ、すげー大雑把に俺なりのロック観を話すとこんな感じだ。
日本ではフォークなんかも結構これに該当しそうだけど。

とにかく世の中から不安や不満が消え去らない限り続くジャンルであり、
そう考えると永遠に無くならないジャンルのようにも思えちゃうよね。
悲しいけどさ。


ロック≒インターネット


さて、ロックがそんな人々の不平不満を引き受ける音楽だとすれば、
ロックの衰退・減少というのははある意味では喜ばしい事であるはずだ。
というかこのサイトの趣旨もそんな感じだし。俺個人の脱ロックが目標。

だがそんな終わらない筈だったロックの役割はいとも簡単に奪われた。
インターネットの台頭である。

世の中の不平不満を発信し、人々の共感を得る。
インターネットはまさにそれに最適な装置だったのだ。
過激な事も常識外れな事もいとも簡単に表現できてしまう。
ギターを手にせずともキーボードとマウスでスターになれる世界だ。


そしてたまたまなのか必然なのか、
インターネットが徐々に広がりを見せると同時に
ロック音楽は元気を失っていったような気がする。

これは人によって受け止め方が大きく違う部分かもしれないが、
音楽的にも面白い出来事が色々起こった90年代に比べ、
インターネットが多くの世帯に普及していった00年代は
明らかに音楽的な変化が小幅だった時代だった。

まさに00年代に青春時代を過ごしていた俺は、
90年代のロックのあの興奮をリアルタイムで経験したかったと思うもん。
ニルヴァーナもオアシスもレディヘもオンタイムで感動したかった…。

ネヴァーマインド
ニルヴァーナ
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この辺りの経緯はデヴィット・ボウイが語っていた内容とほぼ同じだ。
ロックの役割は次第にインターネットにとって代わられていった。
これは逆らえない時代の流れだったのだろう。


ロックvsインターネット


インターネットは俺達の不平不満の捌け口として、
ロックスター達に代わる新たなヒロイズムを感じる場所として、
確実にその影響力を増大させていった。

だがさらにここでもう一つ俺が考えているのは、ロックを始めとした
音楽全般がその流れを受け入れたくなかったのではないかという事だ。
そのせいでむしろロックも「カウンターされる側」になってしまったのだ。

インターネットのような技術革新だって
常識を覆す、新しい価値観を持ち込むという意味では
非常にロックな要素を持っているとも言える。

そして当時の音楽シーンを思い返せば、
その殆どがテクノロジーに対して懐疑的な立場だったような記憶がある。
「家族」「仲間」「恋人」といった無難で回帰的な価値観が重視され、
技術の発達には「自由が奪われる」といったお決まりの警鐘を鳴らす。
今から考えればまるで保守派の論客のようで面白い話だよね。

この頃はロックバンドも抽象的で当たり障りのない表現を好んでいた。
だがそのせいでロックバンドは「食われてしまった」とも言える。
インターネットの方がよっぽど刺激的で面白かったのだ。

言わずもがな、技術というのはツール・手段に過ぎないのだが、
ロック界隈はインターネットによって自分達のアイデンティティ
脅かされるのを警戒しすぎたのかもしれない。

いずれにしてもネットと距離を置いてしまうのは悪手だったと思う。
インターネットをむしろ利用してやろうという気概は
ごく一部のミュージシャンしか持ち合わせていなかったというわけだ。


ロック≒スリル


インターネットを危険視すべき巨大な何かと捉えた時点で、
ロックなどの反体制陣営や保守派の勝負は見えていた。
インターネットは「巨大な何か」ではなく、
「小さな何かの無数の集合体」だったのだ。

今やこの情報化社会でネットを使えない人種なんて
古い人間としか見られない時代になった。
技術革新という名のロックが新しい常識を人類に齎したのだ。

旧来のロックの敗北には、アンチテクノロジーという考え方こそが
ロックのスタイルだと信じて逃れられなかった側面もあるだろう。
でもやっぱり俺はそういった考え方はロックの本質とは異なると思う。

何度も言うがロックを始めとする芸術の役割は新しい価値観の提示だ。
逆にいえば過去に誰かが通った道をなぞる事ばかりを繰り返していては
伝統芸能化がどんどん進んでいずれは衰退してしまうだろう。


俺が思うに、そこで大事なのはきっと「スリル」である。



いや、布袋の曲じゃなくてね。好きだけどさ。

「コイツ、今ここでそれを言ったら色々まずいんじゃね?」みたいな。
場を白けさせるのではなくハラハラさせるような。
本当にその人の今後が危ぶまれるような、
そんなスリルを感じられる事がロックの本質なんじゃないかと思う。

良く昔から反戦・反原発等は
カウンターカルチャーの象徴的テーマとされているが、
やはりあれもその時代に表現された故のスリルがそこにあった。

忌野清志郎があそこまでロックのアイコンとして語り継がれているのも、
芸能活動が続けられなくなるギリギリのラインを常に進んでいたからだ。
しかも全方位に敵を作るようなマネを繰り返し、
その度に多くの人が大丈夫か心配していた。スリルがあったのだ。


そして彼のような人がいてくれたお陰で前例が増え、表現が切り開かれ、
後世のアーティストが安心して自由に活動できるようになったと言える。

しかしそのせいでロックのハードル自体は上がるわけである。
何故なら彼と同じような事を今やったところで、
それは基本的に「安全」だからだ。既に誰かが通った道である。

厳しい話かもしれないが、
今の世の中で反戦・反原発の類ではまだスリルは足りない。
それを訴えかけるのは良いとしても、
新しいかどうかと言われると新しくはないという事になる。

ハラハラさせるような「ヤバイ」案件は時代によって変わるわけで、
先人と同じ事を繰り返すだけではそのレールに乗っているに過ぎない。
ロックの真髄が反骨精神だとしても、
やはり新しさも感じさせない事には先には進まないのではないか。


ロック≒リスク


だから俺はゴールデンボンバーなんかは新時代のロックだと思う。
CDの売り方や音楽というフォーマットそのものへの疑問を投げかける。



そのうち彼らが秋元康の顔写真でダーツをしたり、
人気のジャニーズのお面被って下ネタ全開の曲とかやったりしたら、
仮に干されたとしても「最高にロックな奴らだったな」となる筈だ。

というかコレ適当に書いたけど面白いな。誰かしてくれねーかな。
ちなみに俺はAKB系もジャニーズ系も好きですよ。ホントだよ。信じて。


つまり、まだ安全だと分かっている位置で
前例のある表現を続けているだけでは、
やっぱりネット上のコンテンツには勝てないのである。

なぜなら「安全な位置で良くある表現をする」事は
このネット社会では誰もが出来てしまう手法だから。

ロックな表現として一歩進みたいのであれば、
安全圏を飛び出す覚悟が無ければならないのだろう。
リスクを取れとは良く言ったものだね。
成功者はみんなリスクを背負っているよ。

だからこそ人々はその行動にスリルを感じたときに熱狂するのだろう。
世はスリルを求めている。だから布袋はロックスターなわけだ。
皆もスリルを奏でてくれ。布袋を目指せ。江頭を目指せ。


インターネット≒ポイズン


だが、これから先の未来の状況については、
俺はデヴィット・ボウイも見えなかった時代が待っているように思える。
何故なら最近、インターネットの様子がおかしいからだ。

一昔前は皆の集合知が集積し自由な表現が飛び交う
理想の世界のように思えたインターネットだが、
今やデマが流布され怪しいサイトが検索上位に入り、
正しい情報は覆い隠されてしまうような状況もある。

そして毎日のように誰かの発言が炎上して謝罪が繰り広げられ、
攻撃しやすそうな事案が発生すれば皆が寄ってたかって私刑を行う。
自由な表現すら誰かの正義の名の下に抑圧されてしまいかねない。

かつてデヴィットボウイが期待していたようなインターネットの世界は、
徐々にその役割がぼやけてきているように思えないでしょうか?


ならば、今こそ再びロックの出番ですよ!

インターネットが普及した今、誰もが皆情報を求め、叩く対象を求め、
己の正しさを証明する事ばかりに明け暮れて疲れ始めている。
革新的な技術もいざ浸透してしまえば別の綻びが生じるものなんだろう。

ロックが歴史を重ねると共にその様子が変わっていったように、
インターネットもまた普及を初めて20年以上が経過し変化している。
昔は一部の人達のツールに過ぎなかったインターネットは
より身近なものとなり今では良くも悪くもすっかり大衆化した。

テレビがクレームにより徐々に萎縮化していったように、
インターネットもまた大衆の厳しい監視の目にさらされるようになって
過度に人の目を気にして自由な発言がしにくくなっていく気がする。

まさに言いたい事も言えないこんな世の中じゃ。ね。


インターネットの可能性が広がっているのは間違いないけど、
昔の様なスリルを感じる事は大分少なくなった。
ロックは今こそその役割を再度見直す立場にあるのかもしれない。


ロック=イノベーション


先のアメリカ大統領選では多くの有名ミュージシャンやロックスターが
ヒラリー陣営を支持したにも関わらず、結局はトランプが勝利した。
これだけの情報化社会ではアーティストの影響力なんてそんなもんだよ。
実はもともと影響力なんて思っている程無かったのかもしれないけどね。

現代において世の中を変革する要素は「思想」よりも「技術革新」だ。
インターネット、スマホ、そしてこれからはIoTやAIがそうだろう。
技術革新というロックな出来事こそがイノベーションを生み、
人々の生活や考え方までもを定義付ける時代になっているのだ。

今の時代、世の中を変えたければ官僚や政治家になるよりも、
より最先端の技術でビッグウェーブを起こす事だなんて話も聞くし。
そんな急加速してきたテクノロジーの波に
かつてのロックは負けたのかもしれないね。


でも俺はロックは別に技術と対立するものでもないと思っているし、
むしろ新技術を何か新しい事を仕掛けるという装置として利用して
今までにない驚くような試みを生み出す、そういうものであって欲しい。

インターネットが大衆化して皆が疲れている今こそ、
次の時代を先に捉えた新しい何かを提供してくれるロックスターが現れ、
今までに感じた事のないような衝撃を与えてくれるんじゃないかな。

「これが俺たちのロックだ」

常識を打ち破るような、それでいて痛快で爽快でスリルを感じる、
多くの人が「コイツ、やってくれたぜ」と思えるようなロック。

いつの時代もそんな事をやってきた奴こそが皆を沸かせ、楽しませ、
道を切り開いてきた。それだけはこれからもずっと変わらないのだ。
そんなイノベーションを感じさせてくれる事こそがロックとも言える。


世の中に不平不満が絶えない限り、ロックの役割は終わらない。
ただ、表現の方法が、ステージが、時代と共に変わっていくだけである。

そんな時代の節目の目撃者になりたい。
そんな事を考えたロックの日

結局何が言いたいのか良く分からないまま終わったけど、
誰もが強烈な個性を発揮出来るいい時代になったわけだし
そこから新時代のロックが台頭してくる事を願っている、そんな話。

インターネット時代のロックはきっとまだ始まったばかりだ。


drr.hateblo.jp

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