脱R論

一般人の一般人による一般人のためのゆるくテキトーな音楽ブログ。ロックから脱却出来るその日まで音楽ネタを中心に書き綴ります。

批判をするって本当は難しいし勇気がいる事なんじゃないか。


話が盛り上がる批判を求めて。

 

俺は音楽やら漫画やらサブカルやら、
まあその辺の馬鹿話をしながら食事したり酒を飲んだりするのが好きだ。
というか普段からそこら辺に俺の話題が偏っているのだ。
間違っても流行のファッションの話とか車の話とか俺にしないでくれ


まあそんな同じような趣味を持つ方々とは
色々と情報や意見を交換しながら
あーでもないこーでもないと楽しむのがまた面白いのだが…。

そこでいつも思うのが「批判をする」行為って実に難しいという事だ。
それが世間一般的に評価が高いものや多くの人が好きなものであれば尚更。
この感覚、分からない人には分からないだろうが。

断っておくが俺が言っているのは「批判」だ。
それは「好き嫌い」であったり「悪口」であってはならない。
だからこそ本当に難しいと思っているのだ。

「批判」というのは「批評」があった上での「批判」だ。
つまり批判をするという行為は、
ある程度対象について興味が無いと成立しない

そうでないものは「批判」に見えて、
その実ただの感情論であり悪口に過ぎない。
そんな話なら俺もいくらだって出来る。
俺の悪口レベル舐めんな。近所のガキくらいなら泣かせちゃうぞ。


だから本当の意味で「批判」するならば
毛嫌いしている場合ではなくむしろ好きな部分があって
一旦それと本当に向き合ってみないと分からないものなのだ。

応援しているスポーツチームを好きが故にプレーを「批判」する。
もっと言えば日本が好きだからこそ日本の悪い部分を「批判」する。
だから批判ってのは実は凄い難しい行為だと感じるんですよね。


そして好きなものを他人と一緒に
「あれいいよねー」というのはやっぱり楽ですわ。

でも、例えば呑みの席とかで他の人がみんないいと言ってるものに
「えー俺は違うなー」とかいきなり言おうものならもう
「は?何冷めてんの?」的な目で見られるのだ。

あの冷ややかな視線、酔いも冷めますよ。
こりゃ熱燗が進みますね!ああ怖いよ同調圧力

でもそこで自分が
「こういう理由で俺は悪いと思う」と説明できるかどうか。

相手もそれに対して
「その部分はこういう面もあるんだよ」と切り返してくる。

こうして興味をさらに増やしていく。
これが出来ればそれは楽しいんです。
それはちゃんと「批判」できているという事だからだ。

繰り返しますが、
この「嫌いな理由」を本当の意味で説明するためには、
自分もそれなりの興味を持っていないと難しい。
理想は「話が盛り上がる批判」だ。
そうすればお互いに話題をさらに発展させる事が出来るので実に有意義だ。


でもこっちの思惑と違って話がぶった切れてしまう事もある。
自分の「批判」が悪かったか、はたまた相手側にその気がないか。
だから批判を切り出すのってとても勇気が必要な行為だとも思う。

けれどその勇気の先に新たな魅力を教えてくれる人がいるかもしれない。
それで知らなかった良さに気付けたのなら万々歳じゃないですか。

ホント、
「好き」の反対は「興味がない」とは良く言ったものだ。
勇気を出して批判する。そのためにはもっと色々知らなければなるまい。

4502083003 インターネットにおける誹謗中傷法的対策マニュアル
中澤佑一
中央経済社 2013-11-07

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