【Song】桑田佳祐 feat. 佐野元春, 世良公則, Char, 野口五郎 / 時代遅れのRock’n’Roll Band [2022]
”時代遅れ”なのは果たして…?
去る6月6日。66歳の男たちが集結したとあるMVが公開された。
『時代遅れのRock’n’Roll Band』。
桑田佳祐の呼びかけで昭和の時代から活躍しているロックスターたちが令和のこの時代に集結!今だからこそ歌わなければという想いでチャリティーソングをリリースした。
+チック姉さん大好き。
そんなわけでこの曲について書いていくんだけどさ~、、、
先に言わせてもらうと実は俺、当初あんまりこの曲好きになれなかったんだよ。。。
だからあまり書く気じゃなかったというか、書くならやや批判気味な内容にしようかなとか考えていたんだけどね、それが時間が経つにつれて徐々に意識も変わっていきまして。
ほら7月に入ってまた国内でも色々あったじゃないですか。本当に令和って色んな事が起こるよなーって。で、色々あって俺の曲を見る目が変わったんで、その辺までまとめて書き残しておこうかなと思います。
やっぱ曲やアルバムの評価が変わる事って結構あるんだよね。多分このブログの過去の記事も今点数付け直したら相当上下すると思うもん(でもまぁ最上位勢は変わらんかな)。すまんな。でも最初聴いた時全然好きになれなかったアルバムが何度も聴くうちに好きになっていったなんて経験、みんなあるでしょ?
人間の感情なんてそんなもんなんだよ。曖昧なの。ある時いきなりバチィっと自分の中の何かが音楽と嚙み合って名曲・名盤が芽生えるのです。あー近々またペットサウンズ再挑戦しようかなー。果たして生きているうちにあの良さを感じられるようになるのか俺は。
つーわけで、ちょっとネガティブな感想も含めながら曲を紹介していこう。
「ニッポンのオヤジ、勃つ立つ!!!!!」
という触れ込みで突如告知された桑田佳祐、佐野元春、世良公則、Char、野口五郎という、昭和に青春時代を過ごしたオッサンたちが総勃ち立ちするようなオールスター大乱闘スマッシュブラザーズな豪華メンツによるコラボ曲。
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最初この予告を知った時は俺も「すげぇ!」とワクワクした。
俺個人としては(申し訳ないけど)世良公則と野口五郎は殆ど聴いた事が無かったんだが、それも名前だけでこの5人が集まる事の凄さが分かる。マリオ、ピカチュウ、リンク、カービィ、フォックスだ。もしくは一花、二乃、三玖、四葉、五月。君は誰推し?俺は三玖。
話によると桑田佳祐がそれぞれのメンバーに手紙を送って呼びかけたらしい。手紙ってとこがもう既にオヤジっぽいよな。手紙で連絡て昭和かよ。FAXが笑われる時代に手紙て…と小馬鹿にしたくなるかもしれないが、むしろ敢えて今の時代に手紙だからこそ、パワーがあるとも言える。
LINEとかで「こんど会おうぜ」みたいに言われても「そだねー」くらいのノリでやり取りが終わって結局会うかどうかも分からないまま時間だけが過ぎていくでしょ?現代のコミュニケーションは手軽な分、その重みも軽くなっているのよ。
でも今もし自宅のポストに知人からの手紙が入っていて「今度会いませんか」と丁寧な文字でしたためられていたとしたら「あ…これはちゃんと会わないといけないヤツだ…」ってなるじゃん??これが現代における手紙のパワーなのである。手軽さを捨てて、敢えて面倒な方法を使うからこそ見せられる誠意。オヤジのやり方も使い方次第では強力という事だな。
そしてさらにその後、桑田は自らメンバーの事務所に赴き「トラヴェリング・ウィルベリーズみたいなバンドをやらないか」と阿部さんみたいに誘ったことで、このドリームチームが結成される事になったという経緯だ。
トラヴェリング・ウィルベリーズとはかつて実在したドリームバンドで、メンバーはジョージ・ハリスン、ジェフ・リン(ELO)、ボブ・ディラン、トム・ペティ、ロイ・オービソンという世界的なミュージシャン5人組。桑田はこのトラヴェリング・ウィルベリーズのようなものをやりたかったという。
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んで、あんまり語られていないみたいだけど『時代遅れのRock’n’Roll Band』のMVは、このトラヴェリング・ウィルベリーズの『Handle With Care』のMVのオマージュになってるんですよ。5人がギターを持ち寄る、5人で輪になって歌う、メンバーの過去写真が出てくる、この辺りでもうバリバリ狙っているのが見えてる。
そしてMVには原由子、大友康平、ハマオカモトも参加。原由子はサザン以外の桑田関連にも打率3割くらいの筆頭打者で絡んでいるから分かるんだが、他のメンバーは面白い。
大友康平は今回のメンツと同じ66歳だそうで、それならMVだけじゃなく最初から仲間に入れたげても良かったんだろうけど、桑田の中で多分「トラヴェリング・ウィルベリーズだから5人でやりたいしギターを弾かない人はまいっか」という脳内会議の末にハブられたんじゃないかと勝手に予想している。
ただちゃんとこうしてMVに友情出演となっている辺り、桑田と大友の仲だから出来た出演なんだろうなー。大友さんって元来はこういう形での出演を嫌いそうな人(脇役やらなそうな人)だから、これは二人の間柄だからこそ叶った出演なんでしょう。
そしてこのオヤジ世代の中に若手で唯一混じってくるハマ・オカモト。これも桑田が抜擢したんだろうけど、本人もかなりのサプライズだっただろうな。オヤジたちが次世代へのエールを送るという曲の趣旨にも沿ったなかなか味のある配役だと思う。
そして発表された曲がこちらの『時代遅れのRock’n’Roll Band』だ。
作詞・作曲は言い出しっぺの桑田佳祐。
言い出しっぺが一番大変な役回りになるのが悪しき日本の企業文化。だから会議でも誰も新しい意見を発言しなくなり、イノベーションが生まれないのが日本なのである。
いや今回は桑田佳祐feat~となっているしそこは桑田が好きでやったんだろうから別に異論はないんだけどな。ごめん、なんとなく社会風刺したかっただけですハイ。
ちなみに俺自身はかなりサザン・桑田が好きなんで結構聴いている方だと思うんだけど、この曲は意識して桑田節を抑えめに作っているのが分かる。敢えて言うなら桑田ソロっぽい作りで、少なくともサザンからは大分離れた音楽となっている。
まず最初のギターの入りがCharさんだからね。もうこのギターの時点でサザンじゃない感がスゴイ。このギター音は桑田の音楽ではまず鳴らない。このイントロでもうこの曲のオリジナリティが保証されている。
メロディもサザンっぽくはなく、桑田がソロでやっていたようなややブルース交じりの曲調となっている。全体的に爽やかなので分かりにくいが、オヤジ達が好んで聴いていた時代の音を復刻させたようなロック・チューンだ。
ただBメロ。そうお前の事だよBメロ。Bメロだけは桑田節が隠し切れずに滲み出ている。桑田好きなら分かっていただけるだろう。音がなだらかに上から下に落ちて行ってその後サビ前で湧きあがっていく感じ。このBメロの持っていき方は桑田節のソレだ。
他にも桑田らしさが入っている部分はある。
コメントで自分たちを「古いオッサン」と言ったり、曲のラストで「ダサいロックンロールバンド」と称する辺りもまごう事なき桑田節。大体還暦辺りから桑田はこんな”照れ”のテイストが多くなっている。茶目っ気なのか謙遜なのか分からないが、どこか隠居老人のようなイメージになってるのだ。
でも俺にはなんだかこれって予防線を張っているようにも感じるんだよね…。
”照れ”も桑田個人でやるんならいいのかなと思うんだが、これだけのメンバーを集めて真剣に曲を作ったんだし、そこは照れずに堂々としてて欲しかったというのが正直なところ。
そして現代へのメッセージを込めたという歌詞。確かに悪くはない。何かとセンシティブになりがちな話題も、誰もが願うようなシンプルな祈りとして歌にする事で活動してきた桑田らしい歌詞だ。
だけどなんだろう、やっぱり俺は物足りなさを感じてしまった。
桑田といえば、やはり1995年のミスチルとコラボしたチャリティーソング『奇跡の地球』の印象が強い方も多いだろう。
「夢や希望にすがる時代は過ぎた」
「闇を奏でるロックンロールバンド」
ダークな歌詞に適度な緊張感が漂うサウンド。
俺も古臭い人間なのかもしれんが、やっぱりこういった曲を作る桑田が好きなんだよなぁ。。。鋭さ、ブラックユーモア、そして先見性。類稀なるソングライティング力に加え、斬新な歌詞を書ける事が桑田佳祐の魅力なのである。だから俺は程度はどうあれ桑田のメッセージソングにはどうしても刺激を求めてしまうのだ。
そして、ここまでトラヴェリング・ウィルベリーズを意識しておきながら、覆面バンドとしてやらなかった事。これが勿体ない!もったいないからもったいないからもったいないとらんど!
本家のトラヴェリング・ウィルベリーズは偽名の設定まで使って覆面バンドとしてやっていた。当時契約会社を超えてコラボする際になんか名義がどーのこーのとか色々あったらしくて偽名と覆面を使って曲をリリースしたそうな。勿論誰がメンバーかバレバレだったんだけど、一応体裁上は覆面バンドだったのだ。
だから「桑田佳祐 feat. 佐野元春, 世良公則, Char, 野口五郎」というアーティスト名ではなく、彼らも偽名を使って別のバンド名を作って本家のコンセプトまで再現すればもっと面白かったのにな~と思う。
あと自分たちで古いやり方でやっているとか言いながら、この曲は配信限定でCDが出ていない。世代的にはむしろCDを出してあげた方が買う人も多いだろうし、チャリティー目的なら尚更、収益も上げられたのではないかと思う。もしかしたらこの辺も契約会社との調整とかがあったのかもしれないが…。
そんな色々な感情もあって、なんだかこの曲に関してはイマイチ俺はハマれていなかった。車でも度々流して聴いてはいたがそんな絶賛する程にはなれなかった。
単純に世代じゃないという事もあるかもしれない。ただ俺はかつての『ROCK AND ROLL HERO』の時のようなもっとロックンロールに振り切った桑田佳祐をどこかで期待していたのかもしれない。
ちなみにこの『ROCK AND ROLL HERO』は個人的には大名盤だと思ってます。めちゃくちゃ完成度高いから是非聴いて欲しい。
だけど、最近世の中では本当に色々な事が起きた。
衝撃だった元安倍首相の銃殺事件。その後選挙もあったり宗教の問題が明るみになったりと色々あったわけだが、とにかく最近の動きを見ていると政治の話題というのが怖いものになったと思ったのは俺だけだろうか。
やっぱりこれってインターネットの発達による弊害もあると感じている。みんな口を開けば平気で攻撃的な事を好き勝手に言う。俺も過去に別の記事で書いたと思うけど、昔ながらの攻撃的なロックが衰退したのってやっぱりインターネットが普及した影響がデカいんだよな。亡くなったデヴィッド・ボウイも昔そう言っていたし。
テレビや新聞しか情報を伝えるメディアが無かった時代には、社会に対峙するスタイルで相対的に存在感を放っていたアーティスト達がいた。そもそも自分のメッセージを人に放つポジションにいる人間の絶対数が少なかったんだ。アーティスト達もそんな希少な立場にいた人間だった。
そして大衆もそういうアーティストを観たかった部分もあった。世の中を斬って欲しかったというか、そういう役割をアーティストに期待している一面はあった。「あのアーティストは次はどんな事を歌うんだろう!」ってな感じで。
でも時代は進み、最近は「音楽に政治を持ち込むな!」といった風潮があったように「詳しくもない奴が口を挟むな」みたいな言説があまりに多すぎる。情報化が進んで誰もが発信できるようになったと思ったら、今度は専門家でもなければ発言も出来ないような空気すら醸成されつつある。
政治に限らずだが下手にネットで発言しようものなら「なんかそんなデータあるんですか」「嘘つかないでもらえますか」「それあなたの感想ですよね」と、ひろ○○風に攻撃される時代。今やネットは手持ちの情報でカードバトルを行うようなデュエリストばかりが幅をきかせてしまい、最近の不穏な世情と重なってその応酬は激しさを増しているように感じる。
こんな激戦の最中に「へいわがいちばん!」なんてポロっと喋ろうものなら「でもあなただって○×△◆~!!」と半沢直樹も引くくらいの数倍返しをされてしまうのがオチである。俺らはもっとみんな気軽に発言できる世界を目指していたんじゃなかったのか…?
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『時代遅れのRock’n’Roll Band』と別に、最近桑田佳祐のソロ曲が流れている。
正式リリースはまだのようだが、『平和の街』という曲。
公式サイトに歌詞も掲載されているが、曲は軽快で内容も前向きな明るい歌だ。
ある意味『時代遅れのRock’n’Roll Band』とセットになる曲かもしれない。
この曲を聴いてふと思った。
もしかして今って「攻撃的ではない事」がもう周り回ってロックですらあるんじゃないかと。
俺は無意識的に刺激的な内容の曲を求めるようになってしまっていたんだが、おそらく世の中の皆がそんな過激さに走っている中で感覚がマヒしていたのだ。
元々ロックとは過激な事ではなく、人々の流行的価値観とは別の道を行く事だ。
となると『時代遅れのRock’n’Roll Band』の意味するところとは何だろうか。
人よりも尖ってて過激でなければいけない!今はそんなレースが過熱している。皆が情報戦だの陰謀論だので煽りに煽って都合の良い敵を作っては攻撃をしている。
こんな時にロックがやるべき事ってのはむしろ尖らない事であり、それが結果的に尖っている事になる。そういう話なのではないか?ああ?なんかもうわけわかんねーな。俺も自分で何言ってるか分からんくなってきた。暑さでIQが溶け出している。
まぁ桑田佳祐はちゃんと考えた上でなのか直感的になのかは分からないが、この世間の「匂い」を感じ取った上で自分たちが取るべき選択肢は今はコレだと思ったんだろう。
つまりかつての「闇を奏でるロックンロールバンド」こそが、今はなんと文字通り「時代遅れのRock’n’Roll Band」になってしまっていたのだ。刺激ばかりを人々が求めた結果がこんな世の中じゃあ、そりゃ平穏な歌も歌いたくもなるんだろうな。
と、刺激的な曲を求めていた俺は遅れて気付かされたのだ。
確かにここ最近はなんだか内向きと言うか、不貞腐れてて世間や誰かへの恨みや自分の無力さを吐き出して自己完結するみたいな曲がウケたりするんだよね。きっとみんな疲れているし毒されているんだ。
でも「そんなことよりもまず何かやろうぜ!」と少年ジャンプの主人公みたいな行動をする桑田佳祐とオヤジたち。これが圧倒的にカッコイイのである。コロナ、戦争、災害、嫌になるニュースばかりがメディアから垂れ流される中で、次世代の子どもたちの為にも大人が立ち上がる姿を見せる。
力の弱いものが
夢見ることさえ
拒むと言うのか?
やはり桑田佳祐は原始的でピュアな心で歌っている。世間を皮肉する桑田佳祐も俺は観たいが、今歌うべきなのはもっと真っすぐな歌だったというのが彼らの答えなんだろう。
もう彼らは若者の気持ちを代弁するような事はできないかもしれないが、オヤジ達がオヤジ達なりに頑張る姿を次世代にみせる。これが大人の役目ってヤツなんだろうなぁ。
そんな事を言う俺も一応父親。ああ、こんなブログなんか書いてないでもっと頑張らなきゃダメかなぁ。。。
世の中を嘆くその前に
知らないそぶりをする前に
素直に声を上げたらいい
ホントねぇ、オヤジの皆さんの行動力には驚かされます。
誰もが「いつか会いたいね」と言ってなかなか会えなかったり、結局何もやらないままな事も多い中で、ちゃんと5人で会ってしっかり歌ってこうやって曲を作る実行力。
これですよ。スマホと指先だけ操って世の中の事をあーだこーだと斬ったつもりになるよりも、表現者としてちゃんと歌ってしかもチャリティーに還元する(それもウクライナ支援とかじゃなくセーブ・ザ・チルドレンに寄付という点もポイント)という行動をしている点が、まさしく憧れのロックスターたちの姿なのだ。
もしかしたら「良く知りもしないくせに平和の歌とか軽々しく歌ってんじゃねーよ」などと言う輩がいるかもしれない。でもそれでも彼らはやっぱり歌うのである。口に出すのも勇気が要る時代にそれでも歌うのである。彼らはロックスターなのだから。
そして、これは完全に俺の深読みなのかもしれないんだけど。
…この曲名、『時代遅れのRock’n’Roll Band』って何か変じゃないですか??
だって曲名なんですよ?『時代遅れのRock’n’Roll Music』でいいじゃん。
だが敢えて「ロックンロールバンド」という集団を名指しにしているのよ。
ここに裏の意味があるんじゃないかと勘繰ったりするんだぜ俺みたいな奴は。最初は俺もオッサンバンドである自分達を自虐的に『時代遅れの~』なんて名乗る事でふざけているんじゃないかと安易に考えていたわけ。
でもこれが自分達ではなく「世の中のロックバンド」を指していると考えた途端…
『時代遅れのRock’n’Roll Band』って言葉があら不思議、「うじうじ言ってばかりのロックバンド共は時代遅れなんだよ、お前らがやらねーなら俺たちが先にやってやるからそこで勝手に見とけ」みたいな強烈な意味に思えてきませんか???
もしかしたら桑田佳祐は表では自虐的な意味を装いつつ、実は最近のロックバンド達の不甲斐なさを揶揄しながら奮い立たせるという裏の意味を二重で持たせてこんなタイトルにしたのかもしれない!
そう考えた時、この曲がめちゃくちゃカッコよく思えてきた!!
近年ロックバンドは下火だと言われる中(日本ではまだ根強いけど)、ロックバンドが存在感を示すためにも、むしろこの混沌とした今だからこそロックバンドが立ち上がるべきだろ、と何もしないロックバンド全体を名指しして「時代遅れの存在」とロックレジェンド達が指摘していると想像した方が絶対にカッコイイじゃん!
というか俺はもう想像したい。そう思い込みたい。ほらそんなタイトルに思えてきた。
だから俺はこの曲をそういう目で観るようになって徐々に良く思えてきました、と。
まぁ最終的にはそんな話です。
ロックってのは都合の良いように解釈してなんぼなんです。でも捉え方を変えると一気に見方も変わって面白くないですか??音楽の楽しみ方って人の数だけあるんですよ。
今年のROCK IN JAPAN FESTIVAL 2022でも大トリを務める事になっている桑田佳祐。
そういや今年ロッキン千葉なのね。茨城は…昨年あんな事があったしなぁ…今後はもうずっと千葉かなぁ…
ロッキンで『時代遅れのRock’n’Roll Band』が歌われるのかは分からない。
5人の曲だしソロでは歌えないかもしれない。でも俺はやっぱり歌って欲しいと思う。
この曲は局所的には結構盛り上がっているようだけど、少なくとも若い世代には今のところあまり届いてみたいなのだ。おそらく世代間での隔たりがあるんだろう。
オヤジ世代が「佐野さんがTwist and Shoutって歌ってるよ~!ヤバ~!(にっこり顔文字)」ときゃいきゃいテンション上げてても、若い世代から見れば「いやそんな感動することかようっせーなマジでてかおじさん構文使うなキモ」と特級呪物扱いなのだ。
親世代ターゲットという意味では曲の目標には達しているのかもしれないが、内容的にももっと広く聴かれた方が良い曲なのにこのままではどうしても結局オヤジ世代の祭りという事になってしまいそうなのが寂しい。
終結した5人のメンバーの方々は最初からそのつもりだったのかもしれないが、このままではまたしてももったいないとらんどだ。
ロッキンで若い人の心にも届けば、きっとこの曲の可能性は広がる。
まだまだ「時代遅れ」なんて言われない言わせない、そんなパワーを見せつけて欲しいな、と思っています。
【採点】
・66歳5人(+1人)が立つ 50点
・刺激過多の時代のロック 20点
・オヤジ世代感涙のコラボ 5点
・実は原由子も今年66歳 2点
77点