夜遊びはいけません。
沈むように溶けてゆくように
染み付いた霧が晴れる
いや。
晴れない。晴れないぞ。
俺の心の中のこのもやもやは、
そんな簡単には晴れないんですけどぉぉぉぉぉ!?
さてさてSNS廃人もとい俳人の皆さん、
今日もせっせとSNSで黒歴史を紡いでいますか?
永遠のデジタルタトゥーを刻み込んでいますか?
インターネットのスリルを求めて日々精進されているかと思います。
今更ながら2021年一発目の個別レビューということでね、もうこれをやるしかない。
先に言ってしまうけど実はすっげーもやもやするアルバムだったんだけど、
ここは言うしかない。やっぱり避けては通れないアルバムだと思うし。
これまでだって俺はどんなに世間で名盤と崇められいる作品でも
「自分はそうは思いません」と自分のお気持ちを表明してきたじゃないか。
そういや最近娘があばれる君が好きで、頭が坊主な人を見るとすぐに
「あ、あばれる君みたい!」と言い出すのをちょっと止めたいんだけどどうしよう。
SNSが加速するにつれて、音楽に対してもこんな意見が良く目につくようになった。
「最終的には好みの問題でしょ。」「好きなんだから別にいいじゃん。」
「人が気持ちよく聴いてるのにわざわざケチつけるなんて何なん。」みたいな。
確かにそうだ。どんな人にも音楽の好き嫌いがある。
そんな中より多くの人が好きだと思った曲がヒットするという図式が基本形だ。
曲を聴いて単純に良いと思ったか別にそうでも無かったか。
その個々人が抱いた感情と言うのは否定されるものでもなんでもない。
そう、それは間違いなく曲の立派な「感想」である。
小学校の時さんざん読書感想文書かされたでしょ。アレですアレ。
あなたがどんな感想を抱こうが決してそれは咎められません。安心して下さい。
でも、本当にそれだけでいいんか??
お前らは本当にそれで満足なんか??
youtubeのコメ欄でイチャイチャ戯れているような、
そんなイエスマンばかりで身の回りを固めてばかりで終わっていいんか??
「中学生だけど好き!」とか「いま見てる奴いる?」とか
無駄に改行して[詳細]メニュー開かせるコメントとか
そーんな世界にずーっと浸っていたいんか!!?
さて、人間誰でも色んな「感想」を持つもんで、
それを否定する事は出来ないと言いました。
しかしそれとは別の軸にこの世には「批評」というものも存在するの。
そこをごっちゃにしちゃいけません。いいですか、ここ大事!ここ大事!
読書感想文で「わたしはとてもかんどうしました」(小並感)と書くのとは違うの。
「この本の文体は○○が時代背景にあった当時としてはとても斬新で、
おそらく著者が過去に経験した○○に原因があると考えられる。
また○○からの影響も感じさせかつ市場に対するインパクトも持ち合わせた傑作」
みたいに早口で言ってそうに書くのが批評なの。分かったかyoutubeの小学生ども。
つーか学校も小学生に感想文ばっか書かせず高学年からは批評させるのはどうだろう。
2,3冊くらいの本を課題にしてどれが良かったかを論じてもらうとか。
あれ?これ良くね?俺ってたまにこういうクリーンヒット打つからね。気をつけろ。
まぁそんなわけでみんながみんな感想にどっぷり浸かったこのSNS社会。
「悪口はいけないよ。良い事を言い合って仲良くしようね。」
と、当たり障りない感想ばかりがあふれるようになったこの社会において。
ひとたび批評めいた事を発言すれば…
SNS怖ぇぇぇぇぇえええええ!
批判したら晒されてコメントでファンネルが飛ばされまくる!
「世間に受け入れられている音楽が分からなくなったら老化」みたいなのとか
ガチで言われたらちょっとマジで凹むんですけど。うぇぇぇ。
年齢差別だって良くねーんだよ。いつもあんだけ差別はダメとか言っておいて、
「これだからおっさんはダメなんだ」とか平気で差別発言すんじゃねーぞ。
「これだから女はダメなんだ」と何がちげーんだよ。俺だって傷つくんだぞ。
もうそろそろ干支が3周廻りそうな俺は傷つくんだぞ。
いや確かにtwittterみたいな文字数で伝えようとするのがそもそも無理難題なんだし、
このジャーナリストの方も言い方他に無かったんかなとは思いますけどね、
まぁ批判が封殺されるよりはこうやって議論になればそれはそれで良いと思うけど。
ただ彼が指摘されている点は俺は一定の理解は出来ます。
何度も言ったけど感想ばっかの世界でいいんですか?
しかも「好きな人だっているんだからいいじゃん」みたいな、
そんな”なんか言った風”で終わっていいんですか??
この辺の感想と批評という認識のズレを意識してくれよ。
感想を言うのも批判をするのも自由なのが良いんじゃないですか??
…とは言ったものの、
このブログにしてもどちらかって言うと俺の感想文的な要素が強いな。
感覚的には感想7割・紹介2割・紹介1割くらいの成分表で構成されてそう。
ごめんな。俺は別にプロの批評家じゃねーんだよ。
ちょっと人よりも音楽が好きなただの2児のパパなんだよ。
さぁて、いつものだらだらした前置きから入ったわけだが行きましょうか。
昨年の大躍進から紅白出場まで果たし、
4月にはめざましのテーマソングも担当するという事で
すっかりサブカルから有名人になっちゃったYOASOBI待望のアルバム、
その名も『THE BOOK』が彼らの勢いが止まらない中で放たれました。
まずは俺の感想。
とにかくメロディが綺麗で聴きやすく耳なじみが良い。
ボーカルのikuraちゃんの声が心地よくて歌もうまいし純度が高い。
全体的に様々な色が溶け込んでいくような柔らかさを感じた。
そして俺なりの批評。
なんで今更コレが邦楽市場のトップに立ったんだ!?
となります。
どうだ。分かるか?俺に共感してくれ。
件の音楽ジャーナリストを擁護するみたいだけど、
まあ俺と同じように考えている方は結構いるんじゃないかと思うんよね。
全然嫌いでは無いんですよ。音楽としては。
実際それなりに聴いてますから。ちなみに『夜を駆ける』よりも
個人的には『ハルジオン』とか『群青』の方が好き。
ハルジオンはね、「境界線は自分で引いた~」あたりからの展開がゾクゾクするよね。
疾走感と焦りとがいい感じにミックスされていて切ない。
ちなみに2020年2月の現時点で『ハルジオン』で検索すると、
YOASOBIが一番に来てBUMPの『ハルジオン』が2番目に来ます。
BUMP…ついにバンプまでやられてしまったか…。
そうそう、YOASOBIの何が憎いかってなぁ、
俺の大好きなスピッツの曲に曲名を被せてきやがって、
検索を奪われてしまう事なんだよぉぉぉっぉぉぉぉ!
左:スピッツ/右:YOASOBI
『夜を駆ける』⇒『夜に駆ける』
『群青』⇒『群青』
『遥か』⇒『ハルカ』
いやマジでガチなスピッツファンはYOASOBIアンチになるぞコレ。
スピッツファンはメンヘラっぽいの多いからな。
YOASOBIよ、夜道には気をつけな。夜に出歩いて夜遊びなんもってのほかよ。
『あの夢をなぞって』。この曲はアルバム発表後にMVが上がった。
そういう意味ではアルバム曲って事になるのかな。
メロディも音色も抜群にキレイだ。キラキラしてる。
世代的には『君の知らない物語』を思い出すなぁ。
というかYOASOBIのAyaseも影響を受けてんじゃないかと思う。
『たぶん』。流れるようなメロディラインが象徴的な楽曲たちの中では
落ち着いていて軽く口ずさめるテンポで優しさを感じる曲。
娘が一時期ハマって聴いてた。日本語のはめ込み方がシンプルで分かりやすいんだろう。
『群青』。これはいい曲だなぁ。これも娘が好きな曲。
特に「知らず知らず隠してた~」でバックの音がサッと引き、
ボーカルが際立つ部分がまさに青春って感じの演出。さわやか。
RADの『グランドエスケープ』も想起させるマジックだ。
これはねぇ、もう曲名が『群青』で仕方ない。合ってるもん。
スピッツの曲名と被った事、許してやる。スピッツファンを代表して許す。
『ハルカ』。漢字とカタカナで違うはあるもののまたもやスピッツ被り。
全体的にカワイく、のどかな雰囲気で何気にメロディの展開がスピッツっぽい。
ははーん、さてはAyaseクン、スピッツが好きですな?そっかそっか。
スピッツの曲名と被った事、許してやる。スピッツファンを代表して許す。
そして最後は2020年の邦楽を代表する曲となった『夜に駆ける』。
はいまたスピッツ被り。これはマジで勘弁。
なんてったって「夜を駆ける」で検索してもこの曲が先頭にくるんだもん。
なんなんコレ。グーグル余計な仕事すんな。スピッツファンを代表して許さん。
流麗なメロディラインでスッと入っては来るんだけど、
よくよく聴いてみるとなかなかに複雑な構造で歌うにしてもかなりの難易度だ。
これを歌いこなすikuraのボーカルセンスには類まれなるものがある。
とまぁ収録曲を順番になぞってきたんですが、
お分かりの通り全部Youtubeに上がってます。これがまずマジで凄い。
アルバムでしか聴けないのは最初の『Epilogue』と最後の『Prologue』のインスト曲のみ。
ちなみに普通は最初に始まるのが「プロローグ」のはずなんだけど、
ここは敢えて逆にしてるんでしょうね。最後の曲が1stの『夜に駆ける』だし。
決して英語が苦手とか頭が悪いとかじゃないですから。たぶん。
さて、これで一応アルバムという形になってるわけですが…
これどう思います??
別にいいじゃんと思います?そうだね、そんなのYOASOBIの勝手だよね。
ただね、これじゃもう単なるベストアルバムなんですよねコレ。
いいのかYOASOBIよ。初のアルバム(正確にはEP)って銘打っておいて、
実態は既発曲に数曲足ししてそれっぽく仕上げたもので満足なのか??
分かってる。反論がくるのは分かってる。
落ち着け。SNS廃人はすぐカッとなってシュバってくるからな。深呼吸しろ。
これまでYOASOBIはオンライン限定で曲を発表していた。
それが初めてフィジカル盤を発売したという点には意味がある。
ネットは使えないけどCDなら聴けるという層も少なからずいるだろうし。
あとCDには様々な特典もついていたようだ。
(ごめん、俺は買ってないんだ…サブスクです…)
本当に本みたいな装丁で豪華なインデックスがついてて
ちゃんとCDを購入してくれたファンに向けてのサービス精神もある。
だからアルバムを出すことが無意味だったとは全く思わない。
ただどうしても企画とかグッズという側面が強くて
アルバム作品として評価するのは非常に難しいと言わざるを得ない。
そもそもYOASOBIはこれまでの音楽市場に対するカウンター的な存在でもあったのだ。
俺はサブスクが台頭し始めたころ、
ひょっとしてアルバム文化って無くなるんじゃないかと思っていた。
さすがに無くなるなんて事はなかったが、
しかしサブスクで好きな曲を好きなように聴けるようになった事で
アルバムと言うのはただのプレイリストになってしまって、
音楽市場自体もより曲単位で聴かれる機会を想定した構造になっている。
基本的にアルバムで聴くのが好きな俺にとっては悲しい流れだったが、
でもいつだって音楽の消費のされ方は変化してきたので逆らえない。
今後はアルバムは一切出さずに曲単位で定期的に発表するアーティストが
沢山出てきてもおかしくはないだろうなと思っていた。
CDを一切出さず、ネット初で人気を獲得したYOASOBIが話題になったとき、
これぞまさにそうだと思った。こういう音楽の消費のされ方が今後はメジャーだ。
CDジャケットの代わりには動画がある。動画のサムネイルが令和のジャケットだ。
しかし何故かちゃんとアルバムも出してきた。CDと言うパッケージでも出してきた。
あ、そうなんだ。そこは真面目なんだ。みたいな。なんかそんな感じ。
全く出さないというスタイルだったらそれもまた美学なのかとも思ったけど。
勿論、これだけの話じゃ「批評」としては弱い。
個人的にとてももやもやしてるのはこれが今日本で最も熱い音楽となっていることだ。
なんども言うが俺は内容的には全然嫌いではないし、
こういう音楽が日本にあるのはいい事だと思ってるが、
何故に今「この手の音楽がここにきて浮上しているのか」が気になる点なのだ。
YOASOBIを聴いて多くの人が「ちょっと懐かしいなぁ」と思ったに違いない。
そう、ボカロだ。ここで俺が解説するまでもなく、10年~15年くらい前からあった
ボカロスタイルの楽曲なのである。つーかAyase氏がボカロPだしね。
ボカロってのはアニソンやアイドルとかと同じで正確な定型化したジャンルではない。
ないハズなんだけども、なんとなく全体的な傾向が似通っているので
「ボカロっぽい」で割と通じてしまうのが現状でもある。
これでもかってくらいにメロディックでJ-POP的なサビ盛り上げ構造。
やや駆け足気味のBPMで決まってイラストのMVを作りがちかつ、
可愛らしいフォントで歌詞をちっちゃくMVにいれがち。
もしくはシャープなフォントで歌詞をデカデカといれがち。
どう?めっちゃイメージ沸くでしょう??おおよそこんなところ。
ネット動画発の人気の曲のフォーマットって大体そんなお約束でしょ。
なろうで異世界転生ものばかりが流行るのと一緒。
君もこのフォーマットでやってごらんなさい。ひょっとするとバズるかもよ??
さて、まぁちょっと悪口っぽくなったけどこういう文化が存在する事を
否定する気なんて毛頭ない。ただこのスタイルってさっきも言ったように
俺が学生の頃からもうずーーーーーーーーーーーーーーーーーっと存在するわけ。
それが何故、この令和になった、今の時代にここまで注目されているのか??
これまでアンダーグラウンドで連綿と続いてきた文化に何故人々は今とびつくのか。
正直な話、YOASOBIの音楽は衝撃を受ける程のものでは無かった。
すぐにああボカロだなと分かるし、なんならボーカルのメロディラインと同じように
鳴らされる音があるとなんかちょっと邪魔だなとか思う事もある。
ただ小説を題材にするというコンセプト性や、
実はノーパソ1台しかもプリセット音ばかりでカラオケボックスの中で作ったという
「ヒット曲って誰でも作れるんだ」というバックストーリーは支持されていると思う。
単純な音楽性ではなくそれが出来た背景にも注目が集まっているのはポイントだ。
NHKのヒャダインと岡崎体育の『ワンルーム☆ミュージック』観てる?
俺は観てるぞ。YOASOBIが出てて制作秘話とか語ってたよ。
そしてそう考えると日本のこのボカロの流れってのは、
海外のガレージロック、インディーロック的なポジションに近いのかもしれない。
音楽なんて完全DIYで出来ちゃうんだぜ何ならそこからヒットしちゃうんだぜみたいな。
でもなぁ、番組内でYASOBIへのインタビューとかやってたけど、
やっぱ「楽譜読めないし理論も全然知らないんですよ~」っていう
謙遜してんのかなんなのか分かんないくだりはなぁ…ちょっと気になるんよなぁ。
この手の発言ってもう色んな人が言ってて聞き飽きたし、
むしろ最近は逆に俺はそれってどうなんって思ってしまうんですよね。
知らない方が逆に新鮮な音楽を作れるなんて話も本当にそうか?と思うし。
確かに初心者でも簡単に始められるよというのはある意味希望でもあるんだけど、
だからといって知識の習得を蔑ろにしていい理由にはならないし。
つーかAyase氏は小さいころからピアノやってたわけだし。
まぁいいや。
とりあえずボカロが日本におけるインディーロック的なものだとして。
だとすればボカロ界隈の黎明期から考えると、
流行るのにあまりにタイムラグがありすぎやしないか?という疑問点が残る。
例えYOASOBIがいかに優秀で特異な存在であったとしてもだ、
なぜボカロが出た当初にもっと認知されていなかったんだろうか。
勿論小さいころにボカロを観ていた層が成長して今音楽を作っているんだろうけど、
だとしてもじゃあそれがこのタイミングでマスに受け入れられているのはなんでだ。
だって音楽自体は当時からあったわけでしょ。作り手は10年前にもいたわけじゃん。
そして当時から若者の間ではかなり流行ってた。しかし長らくサブカルの位置だった。
これはね、考えうる要因の一つとしてチャートの変化が進んで
やっとより多くの人々の目に留まるようになったというのがあると思うんですよね。
ボカロ的な音楽は確かにもう10年以上前から存在していたし結構人気もあった。
ただその人気はマスには伝播しなかったのだ。本当ならそこからもっと早くに
スターダムを駆けあがるような存在が沢山出現してても良かったろうに。
ここには日本のチャート、
およびそれを支持するメディアの姿勢が関係していると俺は踏んでいる。
YOASOBIの新譜の話からちょっと風呂敷を広げすぎな気がするが知らんぞ。
俺は止まらないんだ。このまま喋らせろ。カメラを止めても俺を止めるな。
つまりだ。長らくの間、日本で流行りの音楽をキャッチするための指標を
オリコンチャートに依存してばっかだった結果が今のこの状況なのである。
海外でインディーロックが広く支持されてきたのは、
こういう音楽をしっかりと取り上げるメディアが存在したからである。
(まぁ逆にインディーロック贔屓っぽいところもあるにはあるけど…)
それに海外はかなり頻繁にチャートの集計方法を見直している。
しかしCD実売数という、もう今ではすっかり廃れきった要素を
ずーっとずーっと大事に大事に取り上げてはランキングにしていた
オリコンというチャートの存在が日本では非常に大きかった。
何が流行曲なのかってのはオリコンチャートを見るのが常だったのだ。
そしてAKBを始めとしたアイドル商法によりオリコンはハックされ、
もっと紹介されるべき音楽があるのにそれらは日の目を浴びなかった。
流行りの音楽と言えばもうアイドルしか存在しないように映っていた。
ちなみに俺はAKB商法は別に否定していない。
特典商法なんてどのアーティストだって考えるしやってた事だ。
チャートの集計方法を一切変えてこなかったオリコンを批判している。
だがここ数年でようやっと状況は変化した。
オリコンの集計方法変更もあるがビルボードチャートという
色んな要素を複合的に鑑みたチャートがより多く取り上げられるようになった。
またテレビなどでもようやく「再生回数」に注目して人気を測るようになった。
またサブスクが一般浸透したのも大きい。
これまでならSNS上だけで終わっていた流行りと言うのも、
サブスクのような再生回数が肝の新しめのチャートで反映されやすく、
以前に比べて格段に多くの人の目にとまるようになった。
そうなると浮上してくるアーティストの面々ががらりと変わってきた。
こうした中でやっとマスに見つかったアーティストというのも当然いる。
その中の一つに昔からネットでは人気だったボカロ界隈があったというわけである。
つまり音楽自体は昔からあったが、
所謂マスに訴えかける大手メディアは殆どそれらの音楽を伝える事をしてこなかった。
それがようやく再生数だのサブスクチャートだのを取り上げるようになって
「ああ、こんな人たちがいるのね」とより多くの人が認知した。
長くだらだら書いたけど簡単にまとめると単純明快、こんな具合だ。
ごめんね。簡単にかける話もだらだら書くのが得意なもんで。
だがそう考えると、はっきり言って悔しいね。
それはつまりこれまでにボカロ系以外にも見つかって良かったはずの
優れたアーティストがいっぱいいたのではないかという事だ。
もっとメディア側が伝える姿勢を見せていれば、
もっと別のランキングが早めに開発されていればこんな事にはならなかった。
まぁそれは盛り上げ方が足りなかった我々音楽ファンにも多少言える事ではあるけど。
結論、YOASOBIの音楽はそんな衝撃を受けるような新鮮さはないが、
しかし彼らの音楽はチャートやメディアのせいでなかなか表舞台には見えなかった
10年前から続くボカロ音楽の流れを今の時代に再接続した音楽という事になる。
あとさらに言えば昨年から続くコロナ禍の中で音楽の消費スタイルも変わった。
そんな中宅録のようなスタイルで作られた音楽という点でも色んな人が飛びついた。
メディアもこの情勢の中、次のターゲットとして彼らを見つけ取り上げた。
悲しいかな、結局は世間に音楽を伝える役割を担うメディアの指標の変換が
最終的な人々の興味の対象も変えてしまうという結果なのかもしれないと思った。
音楽メディアの力は弱くなった、
自分で好きな音楽を見つける時代だと言われて久しいが、
でも特に熱心な音楽好きでもないかぎりは
普通の人はメディアが人気だというものを流行りと認識する。
それに俺らだって結局は自分で選んで聴いているようでその実、
何かしらの音楽情報サイトなどで情報を仕入れたりしている以上は
音楽メディアの影響からは決して逃れられないのである。
だから音楽メディアというのはなんだかんだで役割があって、
しっかりと音楽の実態を掴んで多くの人に伝える事が重要であり、
それがひいては今後の邦楽の命運を握るかもしれないという話なのだ。
最近は「THE FIRST TAKE」あたりが昔のラジオみたいなポジションに
なりつつあって、こういうところから広がっていったりするんだろうな。
えーっと、なんだか音楽メディアの話題にまで飛んじゃったけど
まとめると
YOASOBIの音楽の感想としては結構いいよ。
でも音楽的にはそんなに斬新ってわけでもないし正直ボカロっぽさは抜けてない。
ただコンセプトとか背景はコロナもあってウケてると思うよ。
昔から人気だったジャンルだけど今になってメディアも飛びついたよ。
ではないかと思います。どうでしょう。
違う?自分はそう思いません?そうですか。よろしいならば戦争だ。
ヒットの仕方としてはとても現代風なヒットだし、
そういう意味ではこれからもネクストYOASOBIが出てくるでしょう。
ボカロを長らく追っていた方々からすれば
「やっと時代が俺らに追い付いた!」という喜びもあるかもしれんが、
俺としてはむしろ再スタートとなったという印象。
もっと早くから色んなチャートが力を持っていたら、
邦楽ももっと多様で面白い市場になっていたんじゃないかと思うと割と残念ですね。
それでも後から今の時代を振り返った時に、
彼らのこの作品が色んな意味で時代の転換点だったねと言えれば良いけれども…。
そんな考えが頭の中を駆け巡り、もやもやした気分になったアルバムでした。
「もっと素直に聴けばいいのに!」って?ホントそう。俺もそう思う。
でも無理なの。音楽評論家と一緒。ひねくれた奴は二度と素直になれないの。
んじゃボカロが若者の間だけで流行ってた理由って何なのかって話になると
それは安易だけど「ネットの中の音楽」だったからという事になるんですよね。
いい年した大人なら金を出して音楽を消費してるわけだけど、
ネットなら無料で音楽を楽しめる。だから若者はボカロを聴いてたの。
簡単に手が届く場所にあった音楽がボカロだった。
それが音楽の原体験になって今に繋がっている人が多いのは事実だ。
さらにボカロは楽器を揃えるよりも簡単で安く済む。
音楽をやりたいのに周りに環境が無かった人でも、
「俺にだって出来るんだ!」と自宅で安価でサクッと始める事が出来る。
だから金がない人はみな音楽と言えばボカロを通るのは自然だったわけだ。
こういった点もなんだかロックっぽいよね。
ニルヴァーナ以降ニルヴァーナみたいなバンドがマネしていっぱい出たみたいな。
当時も「これなら俺にだってチャンスがある!」とみんなが思ったんでしょ?
それがPCのツールとネットの世界に落とし込まれたというわけで。
ただなぜ日本ではあのなんとも言えぬ「ボカロ系」で括られちゃうタイプの
音楽ばかりが若い人に支持されたのかはもっと深く考察したいとは思うんだけどね~。
ボカロだってもっと色んなタイプの音楽が出来るはずなのに、
結局はこういっちゃなんだが似たよ~な雰囲気を纏ったものが流行るという…。
日本のインディーミュージック、ボーカロイド。
その流れは10年以上の歴史を経てやっとメインストリームにて再び接続された。
もっとも米津玄師のような偉大な先輩もいた事も大きいわけだけど、
今後ここからの展開がむしろ重要だと思う局面にあると思う。
このYOASOBIのアルバム『THE BOOK』が、振り返ったときにどう語られるか。
それはこれから動いていく歴史の中で答えが出てくるでしょう。
さて、アルバムには未収録だったけど同発の新曲『怪物』。
これはいい!
冒頭から飛び込んでくるikuraちゃんのやや大人びた妖艶なボーカルにゾクゾクする。
一瞬「あれ?もしかしてハスキーボイス?」と思ってしまうような声。
こんな声も出来るんですねikuraちゃん。そのうちバブーとかちゃーとかもやって欲しい。
そしてサビに差し掛かるにつれて盛り上がるいつものYOASOBI節。
サウンドも奇抜で日本のインディーロック感が漂ってくる。
アニメ『BEASTARS』第2期のオープニングになってるらしいが、
ちゃんと『BEASTARS』の原作者が書いたオリジナル小説を元に作った曲だそうだ。
小説から歌を作るというコンセプト、ちゃんとブレてない。
これからも小説をベースに音楽を作り続けていくんだろうか。
よっしゃ、俺もYOASOBIに曲作ってもらうためにいっちょ小説書いてみるか。
タイトルは…そうだな。
『ノースキルなうえに異世界ガチャでハズレを引いたせいで転生した先でも最低限度の生活しか送れていない俺はこの世界の片隅に生きていますが何か?』
みたいなのを書きたいと思うんだがどうだろう。みんな読みたいかな。
あ、ちなみに自伝小説です。
【採点】
・時代に選ばれたアーティスト 40点
・サブカルから一躍有名に 30点
・日本のインディーロック 5点
・やっぱオリコンあかんかった -5点
70点