脱R論

一般人の一般人による一般人のためのゆるくテキトーな音楽ブログ。ロックから脱却出来るその日まで音楽ネタを中心に書き綴ります。

「愛しあってるかい?」の問いかけに今の音楽シーンなら多分絶句する

夏の終わり 夏の祈り

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早いもので9月に入り夏も終わりに近づく。

今日から新学期だったというところもあるだろう。
我が家も夏休み期間中は学童に行く上の娘のお弁当を毎日こしらえていたので、
給食が始まったお陰で俺はこのサマーウォーズから解放された。

ちなみに娘は現在学校に行きたくないとブルー全開であり、
彼女のサマーウォーズはまだ続いているようである。


そういえば9/1は全国的に自殺者が増える日らしい。

困ったもんだ。きっと人間は皆エンドレスエイトを望んでいるのではないか。
でもハルヒのような力が無い一般人は9月の到来に為す術もなかった。


よし、お前らバンド組め

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カナダの人気バンドSUM41は夏休みの41日目に結成されたバンドだ。
それがそのままバンド名の由来になっているというすがすがしさ。

終わってしまいそうな夏休みへの対抗策として行き着いた一つの答え、
それはバンドを組むという事である。最高な現実逃避である。


そうだ、忘れちゃいけないぜ。本来ロックなんて小難しいものでは無かったはずだろ。
アホっぽい衝動でつまんねー現実から目をそらすためにロックに走るのはむしろ王道だ。

「逃げちゃダメだ」なんて言えるシンジ君は立派だ。あんなのは90年代の亡霊だよ。
最近のうら若き陰キャ共は何が何でも逃げるが基本姿勢だ。逃げ上手の若者。


いいか。バカとブスこそ、バンドを組め!


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東大なんか行くな。行っても量産型インテリになるだけだぞ。


そんな2021年の夏の終わり。

コロナで自粛生活が続いた夏。

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小学生になった上の娘にはsecret baseみたいなイベントは起きなかった模様で
親としては来年こそはどこかに秘密基地を作るように仕向けたいところです。


そんな今年の夏は音楽関連の話題はホンットーに色々ありまして、
逐一触れるのがもう面倒なくらい色々あってニュース眺めているだけで
個人的には嫌な気分になる事が多い夏でした。


そして俺が思ったこととは


ただただ平穏に気持ちよく音楽を聴きたい。


これだけです。

むしろ一人の音楽ファンとしてこれ以上何を望もうか。

なのに、
なのにだ。


「えーこへいさんって音楽が好きなんですか??
 ライブとかも行くんですか??ひょっとしてコロナでもライブ行く人ですか?」


うっせぇわ×3!!!

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マジでやめろ。
音楽が好きロックが好きライブ行きたいって言うだけで白い目で見るな


「やっぱ音楽好きなヤツって自分勝手でクソだわー。
 好き放題やりやがって周りの迷惑とか何も考えてないわー。」


マジでやめろ。
なんなんだこの向い風はよ。TM西川でもこの向かい風には耐えられないくらいだよ。
最近「音楽が好きです」とかちょっと言いづらくなってんだけどコレどういう事だ。
俺が知覚過敏なだけか??いやでも間違いなく音楽への風当たり強くない??


ああ、どうしてこうなっちまったんだ。

一番の元凶はコロナのせいなんだけれども。しかし一人の音楽ファンとしては、
ちょっと最近の音楽関連の話題についてはホントどうかと思う事が多くて…。

正直な気持ちとしては、やっぱり基本俺は音楽が好きだから
アーティスト側の肩を持ちたがる傾向が強いと思う。そこは自覚している。

でも、いやむしろ音楽が好きだからこそ
それはやめてくれ」と言いたいときは言っていいと思うし。
じゃないと本当にみんなの音楽に対する目が悪化する一方なんだよ…。

こんな大変な時代だからこそ音楽には頑張って欲しかった。
そしてそういう音楽を俺も微力ながら応援したかった。


でも、現実はそううまくはいかなかったようである。


ちょっと今回はそんなブルーな話をしたい。
最近色々あってネットから暫く距離を置いていたけど、
またぼちぼち再開していこうかな。

あとまたもや深夜の真面目モードな文章になりそうなのでそこは先に謝っておきます。

Dragon Ashによってインストールされた自己責任論


さて、まず先にこんな話をしたい。

いつだったか忘れたけど
Dragon Ashを聴いていた層は自己責任感が強い」といった話を聞いた事があった。
それは結構あり得る話だなと当時思った。

そして今俺はそれを改めて感じているところなんだ。
だって何を隠そうこの俺こそが、このDragon Ashに強く影響を受けた層なのである。


中学・高校の時のDragon Ashの人気はそれはもう凄まじくて、
俺みたいなチー牛の選抜メンバーみたいな人間でもDragon Ashが好きってだけで
クラスのヤンキーみたいな陽キャの人間とも結構仲良く話せてたりしてね。

そしてDrogon Ashの曲の多くから感じ取れるテーマみたいなものって
「誰にも頼らねぇ、自分の道は自分で切り開く」ってスタイルだったわけよ。

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カッコ良く言うと”一匹狼”みたいな感じだ。

怖がらずに一歩踏み出してみようという背中をおしてくれる音楽。
ただ逆に言えば自分が決めた事なんだから腹くくれという力強さからは失敗もしくじりも
自分の行動の結果であるという一種の自己責任のようなそんな感覚も確かに感じていた。

そしてそんな曲を好んで聴いていた俺らは、
自然と「これも自分が選んだ道だ」という自信と同時に自分の現状に対する責任感、
人のせいにはしないという精神も併せてインストールされていたような気もする。


こういう自己責任論の話をすると今の時代なら
「そんなんだから権力者からいいように使われるんだ!」
という反論が来そうだけど、それとはちょっとニュアンスが異なると思っている。

Dragon Ash世代の自己責任感ってどちらかというかと、
”権力者が信用ならない”から自分は自分で守るというスタンスだと考える。
未来はどうなるか分からねぇ、だから偉いヤツに頼ってばっかりじゃいられねぇ、
だからむしろ体制とは距離をおいて俺は自分の道を進むんだ!という姿勢に近い。


まぁ俺も影響を受けたもんで敢えてDragon Ashを代表例に挙げたけど、
でも当時はこの「すべては自分次第」という感覚って”流行り”だったように思う。
んでもってこの感覚こそが俺の青春時代における”反体制”となっていたわけだ。

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そもそも俺らは国を当てにしていなかった


つーか俺が記憶している限り2000年代って、
こういう自分の事は自分で守るという意識が醸成されていった時代だった。

物心ついた頃にはバブルが崩壊してずっと上向きにならなかった90年代を過ごし、
未来は明るい!という気分をそもそも経験してこなかった俺らの世代は、
当然のように最後に頼れるのは自分だけだと言い聞かされるように生きてきたのだ。


当時の小泉政権は「小さな政府」を目指し中央の機能を縮小する方針だったし
どんどん国は国民の面倒を見てくれなくなるんだろうなと思っていたので、
自分の事は自分で守らなきゃ見捨てられる事もあり得るくらいの前提だった。

だがこの考えが進みすぎると自分を追い込んでしまう人もいるかもしれない
(そういう友人も俺は知っている)ので決していい事ばかりではないんだけど、
少なくとも当時の若者は俺と似たような意識を持っているんじゃないだろうか。


というか、この日本社会は元々国の権限が強くなることを嫌っていたはずなのである。

そして実際にそういう道を歩んできたんだよ。
マイナンバーがなかなか広がらなかったのも監視社会を嫌う人が多かったからだし。
(個人的にはマイナンバー賛成派なんでさっさと進めて欲しいんだけど。)


だがコロナ禍になって国の権限の無さで色々と弊害が出てきているのも事実。

人々の行動を禁じたり強制したりするのは今の日本の憲法・法律では到底無理だし、
マイナンバーが普及していないがために給付金の支給すらモタついてしまう。
国民の病歴だって一元的なデータで管理できていないがために
コロナで治療する際の判断に手間取ったりミスが発生してしまうわけで。

だからあまりに自己犠牲的な発想かもしれないが、
この現状は俺らが選んできた事の結果なんだよな…」とすら俺には思えてしまう。
(まぁだからといっていちいち不満を言うなというわけでは勿論ないが。)


そういやアフガニスタンでタリバンの復権が危険視されている問題で、
アフガニスタンからのアメリカ撤退は間違いだったのではという指摘がある。

ただあれも間接的ではあれアメリカの世論が撤退を後押ししていた背景があるわけで。
特にアメリカはベトナム戦争での苦い経験もあるので、軍の長期滞在については
嫌悪感を示すアメリカ国民がかなりの数いるんだろうなぁと推測できる。

ベトナム戦争の頃はアメリカ国内も反戦歌が盛り上がっていたしね。

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そういう過去もあってアメリカのアフガニスタンからの撤退は時間の問題だった。
しかしここからまたテロ組織の再拠点化が始まってもおかしくない事態となった。


だから最近、俺はどうしてこうなっちまったのかなぁなんて考えたりするのよね。

確かに権力は極力集中しない方がいい。少なくとも俺は今でもそう思っている。

でも何だろう。
このコロナ禍で人々は「強い何か」を求めているようにも見える。
頼れる何かを。すがれる何かを。宗教のように自分を救ってくれる何かを。

コロナのような強大な脅威を前にして、
自分だけではどうにもならないシロモノを目の当たりにして、
自分以外に「決めてくれる存在」ってのをいつの間にか求めるようになっているようだ。

自分の事は自分で守る。
今起きている事は自分たちの選択の結果である。
でもそれだけでは割り切れない感情。

かつて俺が、俺らの世代が通ってきたこの価値観は、
実は今大きく揺らいでいるのかもしれん。

五輪反対してフジロック賛成ってやっぱりダメですよ。


そんなコロナの影響もあって人々の考えが揺れ動いている今、
音楽は一体どんな価値観を世の中にもたらしているだろうか。

2000年代にDragon Ashが俺らに教えてくれたように、
現代を象徴するようなそんなセンセーショナルな音楽的事件はあっただろうか。


…残念ながらここに関して俺は落胆している

音楽的事件はあったがそれは非常に残念な結果を残してしまったのだ。


先日開催されたフジロック

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以前も言ったけど基本的に俺はコロナ禍でのイベント開催には賛成だ。
勿論オリンピックもパラリンピックも賛成。
しっかりと感染予防対策が出来るイベントは解禁していって欲しい。

ただ、正直フジロックは海外のライブイベントの参加条件と比較すると
かなり甘い部分はあると思う。それでも国のガイドラインに沿っているようだし
出演者、参加者それぞれが自覚を持って行ったのならば俺はそれで良いと思う。


ただフジロック関連で問題になったのはやはり
オリンピック等を批判しておいてフジロックに参加した方々
もう色んな人がツッコミいれまくって聖火リレーにも負けない炎上っぷり。

アーティストも参加者も五輪批判した奴らは
ダブルスタンダードだと批判される始末。そりゃそうだ。
そもそもフジロックに反対だった人間も乗っかってきて大荒れである。


しかし申し訳ないけどこれは「想像力が足りてなかった」話でしょうよ…。

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すまんが俺は音楽好きだからって擁護する気はないぞ。


五輪批判していたアーティストにしろ参加者にしろ、
ここでまた五輪とフジロックを比較してあーだこーだ辻褄合わせて理論武装して
「五輪には反対だけどフジロックには賛同する」事の正当性を何とか見出そうとして
自分の感情に必死に理由を後付けしようとしてなんかもうそういうの見てらんないの


カッコよくない。全くカッコよくない。
正しいとか間違い以前にそういうのがもう俺の中ではカッコよくないんだよ。
どっちも反対してくれたらまだ良かったのに。まだ良かったのにぃぃぃぃ!!


つーか最近さぁ、音楽クラスタの皆さん一丁前にインテリ気取ってませんか??

自分たちは頭がいいという錯覚。だから自分たちは文化を理解しているという傲慢。
違うから。どこをどう切り取ってもキモオタ部族だからね俺ら、自覚がないだけだよ。
音楽オタクだからってインテリの顔をすんじゃねーよ、ちゃんとキモオタの顔をしろ。

ハッキリ言って音楽、ましてやロックなんて今や他の趣味に圧倒的に侵食されて
追いやられまくって高尚でもなんでもないマイナーポジションにいる状態ですよ。
そんな位置にいる俺らの言説が客観的にどう見られているか分かりますか??


これはロジカルな話ではなくて捉えられ方・感情の問題。
昨年末に俺は今年は感情の年だと言ったぜぇ?? 

drr.hateblo.jp

 

「五輪は悪くてフジロックは正しい。その理由はくぁwせdrftgyふじこlp」
じゃねーんだよ!!そんな風にロジックをほじほじして弁明するのがもうダメ。
それがどんなにもっともらしい意見に見えたとしてもそれは負け戦なんだから。

まず単純に、シンプルに、普通に考えて、世の中の多くの人がその態度をどう見るか
分かりませんかね??ねえ??絶対「いやそれはおかしいやろ」ってなりません??
五輪ダメフジロック正解の理論、率直にどう受け取られるかって普通に無理でしょ。
インテリぶってあーだこーだ言ったところで、大多数の人間は受け入れないですよ。


だいだい今、音楽とかエンタメが大変な状況分かってるでしょ…。
そこでさぁ、周りから「これだからロックなんか好きなヤツは」とか思われたら
ますます誰も俺らの話をまともに聞いてくれなくなるじゃないですか。

フェスが色んな関係者やアーティストが関わって成り立っているように
五輪だって色んな関係者やアスリートが関わって成り立っているんですよ。
そしてみんな厳しい中でもなんとか頑張ってやってみようと考えてきたわけで。

そこんとこの想像力って働かなかったんかな??
少なくとも俺はアスリートの中でフェスに反対した人は知らんぞ。
どこかに敵を作るんじゃなくて「みんなそれぞれ頑張ろう」とはならんかったのかね。

エセタイマーズさぁ…本当にただのエセバンドじゃん…


さらに言わせてもらえば今年のフジロックで炎上したエセタイマーズ

…この歌、さすがに呆れちゃったよ僕。

「ネトウヨやめてよ」

「ガースーもうやめてくれ」

 
…は?何コレ??
こんなんtwitterのレスバやん。センスが絶望的すぎんだろ。
忌野清志郎が泣くぞマジで。スケールが小さすぎて面白くもクソもないんですけど。


あ、ちなみに俺は補助金貰って政府批判するのは別にいいと思ってます。

俺らはみんな日ごろから税金払って何かしらの公共サービスを受けているわけだけど
例えば「国から医療費の補助受けてんだから国を批判するなよ」とはならんでしょ。
国のインフラに支えられたうえで、でも改善して欲しい事を言うのは間違ってない。

それに俺だって今の政府のコロナ対応については及第点とは言えないと思っている。
外国に比べて死者数を相当抑え込めている点についてはいいけど、
コロナ問題発生から一年半もあったのに今まで何してたの??と思う事が色々ある。


でもこのエセタイマーズは正直言って観てられなかった。

ロックが政治批判ってのは昔からの事でなんも珍しい事ではないんだけど、
ただしその中でもやっぱりセンスを感じる時と感じない時があるんですよね。

特にカッコいいロックってのはですねぇ、
例えばとある問題について0か1とか白か黒とかみたいな話をするんじゃなくて
問題の本質的な部分になんかこう議論の外側から不意打ちを食らわせるような、
人々が見失ってしまっていた核心をついて「ハッ」とさせるような、
そんな事を表現したロックこそが最高に鮮やかでクールなんですよ。


なのに今年のあのエセタイマーズときたら、何ですかアレ。ため息しか出ない。
稚拙なワードチョイスでなんもうまい事言ってないし、
ロックに対する世間の嫌悪感を増幅させただけ。俺も被害者だよこんなん。

彼ら、というかアジカン後藤はこのタイマーズのテーマの替え歌を歌う少し前に
「世の中のいがみ合いがなくなって、愛し合って許し合って」みたいな事を
MCで言ってたんですよ??その後にデイドリームビリーバー歌って、
そこまでは良かったのにその後にコレ。はあ?ですよさすがに。

これも後から強引に解釈してあれこれ理由を肉付けする事も出来るだろうけど、
まず素直に最初に観たときの感想が「何コレ…」だったんだよ。
もう最初のストレートな感情がそれだった時点で終わり。理屈じゃないんですわ。


「愛し合ってるかい」ってのは忌野清志郎のスローガンみたいな言葉なのにさ、
今の時期にロックがこんな事で炎上してたらそれこそまた分断起きちまうじゃねーか。
とてもじゃないけどこんなんじゃ愛し合えねーよ。

さっきも言ったが、今は音楽シーンも含めてみんなで盛り上げていきたい局面なのに、
これでまた「これだからロックとか聴いてるヤツは」とか言われるわけやん。。。
ごめんマジで苦しい…。なんでこんな窮屈な思いをしなきゃなんないんだよぉ…。


ちなみにフジロックはyoutubeで適当に色々眺めてたけど、
ナンバーガールはさすがの貫禄やったね。
下の娘を寝かせながら音量を出来る限り小さくして観てた。それだけはいいOMOIDE。

どんどん嫌われていく俺たち…


あと愛知の「NAMIMONOGATARI2021」フェス。

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これに関してはもうあんまり書く気も起きない。
つーかまた夜中に結構な長文書いてきたんで疲れたよ僕。


とにかくガイドライン・ルールは守れ!

以上。


もう最近の一連の報道でさ、
かんっぜんに音楽ファンが嫌われ始めてんのが困るのよ。

やんちゃだとか反体制だとかもう社会の厄介者扱いじゃん。
お気に入りのライブTシャツ着て近所の買い物すら行けないじゃん。
俺の普段着、ライブTシャツにかなり依存してるから由々しき事態なんだけど。


やめてよ、ボクは完全チー牛マニュアルにのっとった典型的なチー牛サンプルなのに
なんでこんな惨めな思いしなきゃいけないんだよ…。

「うるせぇ、いちいち人様を気にするようなヤツはロックにもヒップホップにも
 いねぇんだよ、俺らはいつだって大人や社会に抗ってきたじゃねーか」だとぉ?

いえもう沢山です。俺は今はただ平穏に好きな音楽を聴いていたいだけなのです。
つーか今のこの状況でそんなにイキれる根性ないっすよ。

もう俺を巻き込まないでくれ。こんな音楽村なら脱出させてくれ。
結局はここも身内に甘いムラ社会だったって事じゃん。
そういうのを一番嫌ってきたのが音楽だったってのに自分たちもそうなってんじゃん。

失ったものは取り戻せるか。


drr.hateblo.jp

 

過去に何回も言及してきたけどね、
「ロックは元々反体制だったんだ!ロックに政治を持ち込んでもいいんだよ!」
みたいな主張をする人良くいるけどさ、いやもうそれ分かってるんです。

ただ何が言いたいかと言うと
それって俺の感覚だともう古いロックの形式でしかないって事なんです。

別に今の時代だって体制批判したけりゃ勝手にすればいいけどさ、
ただそれは俺の中では少なくとも新しいロックじゃないんですよね。
「これは今までに無かったぜ!」的な新しさがない。過去のフォーマットなんですわ。


Dragon Ashの話に戻るけど、彼らが当時俺らにガツンときたのってやっぱり
「自分の事は自分で決める。自分を信じるしかねぇ」的なカッコよさだったわけで、
そこには旧来の政府批判のロックとはまた違った「自立」の美学があった。
他者を変えるのではなく自分を変える事、それが俺らにとってのロックだったのだ。

でもなんだか最近のこの窮屈なムード、
一番悪いのはコロナだと頭では分かっているのに、
みんながみんな誰か他人のせいにしたがっている。
これは果たして健全だと言えるのだろうか。

気持ちは分かる。自分が悪いとは誰も言いたくないもの。
でもなんだかそれはまるで自分の責任を放棄した子どものようにも見えてしまう。
誰かにコントロールして貰いたい。ハンドルを他人に任せたい。
そうすれば何か起きても自分のせいじゃないから。そいつが悪いんだから。


まぁ敵を作ってしまうのが一番楽なんだよね。
これは昔から歴史でも繰り返されてきたことなのだ。

選挙で簡単に勝つ方法は大多数にとって同意を得やすい少数の敵を作ることである。
そうすれば少数がいくら反対票を投じても大多数の投票数には敵わないから。
どこかに分かりやすい敵を作り上げる事が自分の陣営が勝つ近道ってわけだ。


今この国にはもう「みんなで頑張って盛り上げよう」という機運は無くなっちまった。

皆が自分の利害関係がある部分しか見ておらずその範囲でしか生きていない。
そしてまるで誰かが失敗するのを待ち望んでいるかのようだ。
そんな異常な雰囲気の中で消耗戦でしかないマスゲームが繰り広げられている。


こんな時だからこそ俺は音楽には皆を繋げる役割であって欲しかった。
でも分断が生まれてしまった。むしろ音楽側が生んでしまった事例もあった。
イキってる場合じゃなかったんだよ。もっと色々と知恵を絞るべきだった。

この空気の中で「音楽を救ってくれ!」と言ってももう誰にも聞こえないかもしれん。
思った以上に、ここ最近で音楽が受けたダメージはデカかったと思っている。


でもこれまで俺は音楽に助けられたことが何度もあるし、
きっと他にも音楽に助けられた人はいっぱいいるはずだ。

だから頼むからみんな今一度、音楽を救って欲しい。
いや、音楽「」救って欲しい。

CDを買おうとまでは言わない。
ましてやライブに行ったりグッズを買おうだなんて言わない。


ただ好きな音楽とかをみんなが共有して楽しんで、それだけでもいいからさ。

昔やってたように出来ないかなぁ…。

もうコロナ前には戻れないとしても、もっと別の道は無かったんだろうか。


じゃあもうこの際俺は嫌われてもいい。
どうせこれ以上俺が嫌われたところで、この世界にネオチー牛が爆誕するだけだ。

愛し合う事が難しくなってしまったんだとしたらだ、ならば
「俺の事は嫌いでも、音楽のことは嫌いにならないで下さい。」
と、俺がここで言うしかない。

あっちゃん、頼む。今宵俺に力を貸してくれーーー!!


なんて事を書いてたらもうこんな時間になっちまった。
最近こんなケースばっかりだぜ。

でも俺ももうちょっと頑張ってみたい。

そんな事を考えた夏の夜。

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